立教大学法学部・田宮ゼミOB会(1998年6月13日開催)のご報告



この文章について

以下の文章は、1998年6月13日(土)に開催された田宮ゼミOB会の様子を、主として、当日ご参加いただけなかったOB・OGの方々にお伝えすることを目的として作成し、同年の9月頃から、このページで公開していたものです。1999年1月12日に、田宮裕先生がご逝去なさったため、先生をお招きしてのOB会は、これが最後となってしまいました。この文章は、2年後に再び先生を囲んで、教え子が集うことを予定して書いたものですが、あえて当初に掲載した原文のまま、以下に再掲載いたします。

この文章を短くまとめたものを、校友会報セントポール366号の「校友の広場」欄に投稿しました。わずか数行の小さな投稿記事ですが、先生の笑顔の写真が掲載されています。OB・OGの方々は、併せてご覧ください。原稿提出時は、まだ先生はご存命でしたが、同号は先生のご逝去後に発行されました。記事には、広報課の職員の方が、適切な補遺を付けてくださいました。

なお、名簿の更新作業は、引き続いて、前回の事務局メンバーが行っています。住所などの変更がございましたら、中島(平成3年卒)、杉本徳久さん(平成8年卒)、あるいは、多田辰也さん(昭和54年卒)までご連絡ください。


ご報告

このページでもお知らせしていたとおり、1998年6月13日(土)、セントポールズ会館(豊島区西池袋・立教大学キャンパス内)にて、立教大学法学部・田宮ゼミナールのOB会が開催されました。これまで、おおむね2年に一度くらいずつ開催してきたOB会ですが、田宮先生が立教大学を定年退職し、亜細亜大学に移られた後も、引き続いて同じように開催していくこととなりました。(案内状

当日は、生憎の雨模様でしたが、総勢で100名を超える方々が出席する盛会となりました。当初は、ご欠席の予定だったにもかかわらず、別の予定を反故にして、駆けつけた方も、おられました。また。今回は、先生が北大から立教に移られて間もない頃に教わったという大先輩から、昨年度、現役のゼミ生として最終講義を聴いた若手まで、幅広い世代のOB・OGが集まりました。

司会進行は、幹事でもある富永尚道さん(昭和54年卒)が担当してくださいました。最初に田宮先生からご挨拶を頂戴し、笹原雅晃さん(昭和46年卒)のご発声で乾杯しました。先生は、当日の心境について、「今回からは、自分も"OB"となったので、これまでとは少し違った思いで会場に足を運んだ」とお話になりました。

今回のOB会は、田宮先生が紫綬褒章を受章されたお祝いを兼ねたので、法学部の先生方ともご一緒させていただきました。当日まで、OB・OGの皆さんにはアナウンスしていなかったのですが、在学中に、講義や基礎文献購読でお世話になった先生方とも再会でき、喜んでおられた方が多かったようです。なお、井上治典教授(学部長)、高畠通敏教授、所一彦教授からは、それぞれ、ユーモアにあふれたお祝いのスピーチがありました。

各世代を代表して、冨永絵里さん(昭和61年卒)、西田泉さん(平成7年卒)など、何人かのOB・OGにも、スピーチをしていだたきました(実は、田宮先生からのリクエスト企画)。それぞれの近況のほか、在学中のゼミの様子なども紹介されていました。

先生のお席にご挨拶にうかがったり、同期の仲間で歓談の輪ができたり、思い思いに楽しい時間を過ごしました。大先輩の中には、今回の案内状をきっかけにして、久しぶりに仲間で連絡を取りあい、大勢でそろって出席なさった方もおられたようです。また、世代が離れていて、それまで面識がなかった人どうしが、お互いに自己紹介し合い、異業種交換会のような雰囲気で盛り上がる場面もありました。私じしんも、初めてお目にかかった先輩方から、いろいろなことを教えていただくことができました。

私の同期、平成3年卒の出席者が少なかったのが、残念です。原田(旧姓・倉本)郁子さんと私の二人だけでした。家庭や職場でのイベントが多いせいか、20代後半から30代前半の世代は、なかなか集まりにくいようです。しかし、まぁ、次回は、もっと大勢で集まれたらいいなと思います。小山君、よろしく。

最後に、田宮先生にOB会から花束を贈呈し、あらためて先生のお言葉をいただきました。また、当日には間に合いませんでしたが、OB会から先生に記念品を贈呈させていただくことが、幹事から報告されました。予定していた時刻を30分ほど超過して、午後9時頃に、お開きとなりました。長時間にわたったので、多少なりともお疲れになったであろうにもかかわらず、先生は、お開きとなったあとも、すべてのOB・OGが立ち去るまで会場の廊下に残ってお話くださり、笑顔でお帰りくださったのが、何より印象的でした。




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