判例研究:いわゆる「強制採尿令状」による採尿場所への連行の可否

最決平成6年9月16日刑集48巻6号420頁

立教大学大学院法学研究15号210-223頁(1996年)



〔事実の概要〕

 覚せい剤を使用している疑いがある本件被告人を探索中であったI巡査は、被告人が運転している車両を発見したため、数分にわたってこれを追跡し、指示によって停止させた。午前一一時一〇分ころ、現場に到着したH巡査部長が職務質問を開始したが、被告人が質問に素直に応じず、挙動にも落ち着きがなかったため、被告人の運転車両の窓から腕を差し入れてエンジンキーを引き抜いて取り上げた。以後、午後五時四三分ころまでの間、数名の警察官により職務質問が継続して行われ、警察署への任意同行が求められたが、被告人は、これをかたくなに拒否し続けた。

 一方、午後五時二分ころには、被告人の尿を医師によって強制的に採取するための捜索差押許可状が発付された。令状が現場に到着した午後五時四五分ころ、K巡査部長らが被告人の両腕をつかんで警察車両に乗車させ、その令状を呈示したが、被告人がこれに激しく抵抗したため、両腕を制圧して警察車両に乗せたまま採尿場所として予定していた病院へ連行し、午後七時四〇分から五二分ころまでの間に、同病院において医師がカテーテルを使用して被告人の尿を採取した。この尿につき、覚せい剤の含有が認められるとの鑑定結果が出たため、被告人は、覚せい剤自己使用の罪で緊急逮捕され、のちに同罪などで公訴提起された。

 第一審(福島地会津若松支判平成五・七・一四)は、捜索差押許可状によって採尿場所まで被疑者を連行したことを適法とするなどして、懲役一年六月の有罪判決を言い渡した。控訴審(仙台高判平成六・一・二〇)は、車のキーを引き抜いて長時間にわたって返却しなかった行為を違法としつつも、証拠排除すべき重大な違法はないとし、採尿場所への連行については、令状の執行のため当然に予定されたものとして許されると判示して控訴を棄却した。これに対し、被告人が、尿の鑑定書の証拠能力を認めたことが最高裁の判例に違反するなどとして上告したのが本件である。

 なお、本件において論点とされるべき事項は多岐にわたるが、紙幅の都合により、本稿では、表題に掲げた問題のみを検討の対象とする。

〔判旨〕

 最高裁は、上告趣意がいう判例違反は存在しないとしたうえで、職権によって、本件の尿の鑑定書の証拠能力(その前提として本件採尿手続きの適否)について判断を加え、上告を棄却した。

 「身柄を拘束されていない被疑者を採尿場所へ任意に同行することが事実上不可能であると認められる場合には、強制採尿令状の効力として、採尿に適する最寄りの場所まで被疑者を連行することができ、その際、必要最小限度の有形力を行使することができるものと解するのが相当である。けだし、そのように解しないと、強制採尿令状の目的を達することができないだけでなく、このような場合に右令状を発付する裁判官は、連行の当否を含めて審査し、右令状を発したものとみられるからである。その場合、右令状に、被疑者を採尿に適する最寄りの場所まで連行することを許可する旨を記載することができることはもとより、被疑者の所在場所が特定しているため、そこから最も近い特定の採尿場所を指定して、そこまで連行することを記載することができることも、明らかである。本件において、被告人を任意に採尿に適する場所まで同行することが事実上不可能であったことは、前記のとおりであり、連行のために必要限度を超えて被疑者を拘束したり有形力を加えたものとはみられない。また、前記病院における強制採尿手続にも、違法と目すべき点は見当たらない。したがって、本件強制採尿手続自体に違法はないというべきである。」

 「以上検討したところによると、本件強制採尿手続に先行する職務質問及び被告人の本件現場への留め置きという手続には違法があるといわなければならないが、その違法自体は、いまだ重大なものとはいえないし、本件強制採尿手続自体には違法な点はないことからすれば、職務質問開始から強制採尿手続に至る一連の手続を全体としてみた場合に、その手続全体を違法と評価し、これによって得られた証拠を被告人の罪証に供することが、違法捜査抑制の見地から相当でないとも認められない。そうであるとすると、被告人から採取された尿の鑑定書の証拠能力を肯定することができ、これと同旨の原判断は、結論において正当である。」

〔評釈〕

  昭和五五年一〇月二三日の最高裁第三小法廷決定(刑集三四巻五号三〇〇頁)は、捜査上真にやむを得ない場合の最終手段として、「医師をして医学的に相当と認められる方法により行わせること」という条件を付した捜索差押許可状により、カテーテル(導尿管)を用いて被疑者の体内の尿を強制的に採取することができるとした。この昭和五五年決定は、捜索差押許可状の形式によりつつも、実質的には、いわば「強制採尿令状」とでも呼ぶべき新しい形の令状を創出したものであると評されることが多い(*1)

 ところで、右決定の事案では、被疑者が逮捕中だったため、採尿場所とされた警察署医務室への移動には支障がなかった。しかし、被疑者が身柄を拘束されていない場合には、「強制採尿令状」が要求する条件を満たす採尿場所に被疑者が存在せず、そのままでは令状が執行できなくなる可能性が生じる。そこで、この場合に、捜査機関がどのような手段をとることが許されるのかが問題とされてきた(*2)。本決定は、この課題の解決を示した最初の最高裁判例であり、昭和五五年決定以降、判例が「創設」し発展させてきた「強制採尿手続き」の新たな展開を示唆するものとして重大な意義をもつ。

  「強制採尿令状」による採尿場所への連行の適否について判断したこれまでの下級審の裁判例は、いずれも採尿場所への連行を適法としてきた。もっとも、その結論を導く理論構成からは、判例の流れを二つに分類することができる。まず、昭和五五年決定のいう「強制採尿令状」が「医師をして医学的な方法により行わせること」を条件としている以上、採尿に適した場所まで被採取者を連行することは令状の趣旨に当然に含まれるとする立場(以下A構成)がある([1]函館地決昭和五九・九・一四判時一一四四号一六〇頁〔勾留に対する準抗告審決定〕、[2]東京高判平成三・三・一二判時一三八五号一二九頁、[3]仙台高判平成六・一・二〇〔本件控訴審判決〕。なお、[4]広島高松江支判平成六・四・一八判タ八五八号二八三頁、[5]仙台高判平成六・七・二一判時一五二〇号一四六頁もこれに含めてよいだろう(*3))。もう一つは、「強制採尿令状」がそのような条件を付した以上は、採尿に適した場所まで被採取者を連行することは、刑訴法二二二条一項が準用する一一一条一項にいう「必要な処分」として許容されるとする立場(以下B構成)である([6]函館地決昭和六〇・一・二二判時一一四四号一五七頁〔判例[1]と同一事案。証拠決定〕、[7]東京高判平成二・八・二九判時一三七四号一三八頁、[8]福島地会津若松支判平成五・七・一四〔本件第一審判決〕)。

 また、右のうち、判例[6]では、「強制採尿令状」による連行が認められるためには、(a)採尿の目的を達するのに必要やむを得ないときであること、(b)「強制採尿令状」の提示がなされること、(c)連行が合理的な時間と距離の範囲内で行われること、(d)有形力の行使が必要最小限度であることを要する旨が判示されている。また、[2][7]の各判例では、右のような一般論は展開されていないものの、(a)や(d)を満たす事情の存在が特に認定されており(*4)、連行が許容される場面を制限的に理解しようとする配慮がうかがえる。

 つまり、本決定以前の下級審判例の動向としては、結論を導く細かな理論構成にやや不一致を残し、具体的にどのような場合に連行が許されるのかについては十分な指針を確立し得てはいなかったものの、「強制採尿令状」による採尿場所への連行を許容するという点では、すでに方向性を固めつつあったということができる。

  さて、右のような下級審判例の展開に対しては、当然のことながら、検察実務が一貫して好意的な評価を表明し続けてきた。他方、研究者によるコメントには、これを批判的にとらえるものが多い(*5)

 両者の対立は、昭和五五年決定の理解の仕方に起因するといわれる。すなわち、下級審判例の結論を支持する立場(以下、許容説)は、「強制採尿令状」に記載される条件が特定の環境での採尿を要求した以上、昭和五五年決定は、その条件を満たす場所への連行を許容する趣旨を含んでいると解する(*6)。これに対して、判例の結論を批判する立場(以下、否定説)は、「強制採尿令状」記載の条件は、被疑者の人権に配慮した捜査機関に対する義務づけに過ぎず、昭和五五年決定は身柄拘束を受けていない被疑者を採尿場所へ連行することまで認めたものではないと解するのである(*7)

 しかし、より実質的には、両者の違いは以下のような点に集約できるだろう。まず、許容説が、採尿場所への連行を認めなければ、身柄拘束されていない被疑者について発付された採尿令状が執行できなくなるという意味で、連行の必要不可欠性を強調する(*8)のに対して、否定説は、採尿のための連行が、必要性の枠を超えて濫用されることへの危惧感を示す(*9)また、許容説が、採尿場所へ連行する行為を強制採尿との関係で付随的な処分としてとらえるのに対して(*10)、否定説は、連行は身柄拘束に他ならず、身体の自由という新たな法益の侵害が生じる以上、付随的なものとはいいがたく、そのような考え方は、令状主義の体系を無視するものであるとしてこれを批判する(*11)

 なお、許容説に立ちつつも、連行が適法とされるために特別な条件を満たすことを要求する見解が多く見うけられることには注意が必要であろう(*12)。さらには、「強制採尿令状」に採尿場所を明示し、そこまでの強制連行を許可する旨の記載をなすことにより、連行についての事前の司法審査を原則化して適正な執行を確保しようとする提案が、裁判所内部からなされていたことは(*13)、本決定の判示内容との関係で極めて重要である。

  さて、本件の最高裁決定は、その結論においては、これまでの下級審判例と、それに対する検察・裁判実務の好意的な反応とを受け入れたものということができる。しかし、本決定の論旨には、従前の議論の枠組みには収まりにくい一定の特色をみることができる。以下では、そのような本決定の特色を明らかにしつつ、そこで示された新しい判例法理の内容を概観してみたい。

 まず、本決定は、連行を適法とする実質的な理由として、1,強制採尿令状の目的を達するために不可欠であること(必要不可欠性)に加えて、2,裁判官が連行の当否を含めて審査していること(司法審査の存在)を挙げている。さらに、傍論ではあるが3,連行を許可する旨の記載や連行すべき採尿場所を、令状に記載できること(令状での明示)を示唆した。

 本決定の論理構成は、一一一条一項を媒介させていないことに着目すれば、前述のA構成の延長線上にあるといえる(*14)。もっとも、これまでのA構成が、連行が「強制採尿令状」の執行に必要不可欠であることから直ちに「令状の趣旨に含まれる」との結論を導いていたのに対し、本決定では、連行の当否に対する司法審査の存在が強調されており、さらには、傍論とはいえ、司法審査の帰結である令状での明示についてまで、あえてコメントされている。このように、連行そのものに着目した、より具体的な司法審査の必要性が意識された判示内容となっている点に、本決定の独自性を認めることができよう。

 また、「強制採尿令状」に対する観察方法として、もし捜索差押許可状という令状の形式に着目するならば、一一一条一項の問題として処理するのが論理的であろう。連行そのものへの司法審査の存在を強調した本決定の理論構成からは、令状の形式面に着目するのではなく、新しい類型の強制処分についての特別の令状という実質に着目する姿勢をみてとることができる(*15)

 つまり、本決定は、1)連行が、本来はそれ自体が令状主義の制約の下におかれるべき別個の法益侵害であることに一応の配慮を示しつつも、2)「強制採尿令状」が判例により作りだされた新しい種類の令状という性質を持っていることを率直に認め、その令状に、身体の自由の一時的な制約という新たな内容を盛り込もうとするものということができる(*16)。本決定により、「強制採尿令状」は、「採尿可能な医師のもとへの『勾引』」と「排出前の尿を対象とする『鑑定』ないし『身体検査』」という、二つの異なる処分の可否の審査を内容とする一つの令状という実質を持つに至ったといえよう(*17)

  本決定の特色を右のように理解するならば、本決定の射程も、薬物使用事犯の捜査における強制採尿という特殊な局面に限定して考えるべきであろう。たとえば、本決定の結論から、強制採尿以外の強制処分についても、特定の場所への強制連行が認められる場合があることを導こうとする見解があるが(*18)、安易な一般化には警戒すべきである(*19)。また、A、Bいずれの構成によるのかを重視しない見解に立てば、本決定は一一一条一項の「必要な処分」との関係でも先例として扱われるかもしれない。しかし、同条の「必要な処分」は、もっぱら、「捜索差押えとの関係で、どの行為までが当然に付随する処分といえるか」という観点から論じられてきた。これに対して、本決定が、単に連行の付随性や必要不可欠性を説くのではなく、連行そのものに対する固有の司法審査の存在を中心的な論拠としていることに注目すれば、本決定の判示を一一一条一項の解釈と関連付けるべきではないとの結論を導くことも許されよう。たとえば、人の身体や自動車の車内を捜索場所とする捜索差押令状の執行において、警察署等への移動が必要不可欠と認められる具体的事情が存在する場合に、一一一条一項の「必要な処分」として右の移動を認める見解もあり得るが、本決定は、そのような見解を支えるものとは解し得ない(*20)

  さて、本決定が、採尿場所への連行を無制限に認めたのではない以上、本決定の事案と判示内容から、採尿場所への連行が適法とされるための具体的な条件を明らかにしておくことが重要であろう。

 まず、1)任意同行が「事実上不可能」であることが要求されている。本件は、被疑者の拒否の姿勢が明確であるばかりか、激しい抵抗を伴った事案であった。捜査機関が、採尿場所への任意同行を求めて、説得を尽くしたのちでなければ、連行は許されない。

 次に、2)連行場所が「採尿に適する最寄りの場所」であることが要求されている。「最寄り」という文言が用いられてはいるが、単にもっとも近い場所であればよいのではなく、採尿のための出頭確保という見地から、時間的・距離的に相当な範囲内でなければならないだろう。あまりに長時間・長距離に及ぶ連行は、仮に採尿のためその必要性があったとしても、令状によらない逮捕の実質を持つといわざるを得ない。本決定は自動車で約四〇分かけての移動を適法とした。これまでの下級審の事案も、すべて自動車を利用して数分から数十分の範囲に止まっており、これが目安となろう(*21)。また、あくまで採尿のための連行である以上、連行場所の選択にあたっては、安全で迅速な採尿の実現以外の目的を介在させてはならないことは当然である。たとえば、別事件の取調べの便宜などを考えて、あえてその捜査を担当する警察署に連行するような扱いは到底許されない。

 また、3)有形力の行使は「必要最小限度」でなければならないとされた。被疑者の抵抗の度合いに比例して、許容される有形力の態様も、より侵害性の高いものとならざるを得ない。ただ、いかに被疑者が抵抗しようとも、採尿場所への一時的な移動という連行の趣旨の範囲内においては、たとえば手錠・戒具などの利用が「必要最小限度」と認められる場面は、実際上存在しないと思われる(*22)

 なお、最高裁が明示したわけではないが、4)採尿手続きの終了後は、被疑者は直ちに解放されなければならないことが当然の前提であると考えるべきだろう。通常の覚せい剤使用罪の捜査においては、まず被疑者の尿の予試験を行い、陽性の結果が出た場合にのみ緊急逮捕が行われているようである(*23)。そうすると、緊急逮捕する場合に備えて、採尿後、予試験の結果が出るまでの間、被疑者をその場に止めておく必要が生じる。しかし、本決定は、尿の「採取」を可能とするために採尿場所への一時的な移動を認めたに過ぎないのだから、採尿後の身柄拘束の根拠とはなり得ない(*25)。しかし、万が一、採尿後に何らかの理由によって、現場での予試験の実施が不可能になった場合や、採尿から予試験の実施までに大きな時間差が生じたような場合には、すみやかに被疑者を解放しなければならない(*26)。これに反して身柄拘束が続いたときには、採尿後の身柄拘束が違法であることはもちろん、状況によっては、採尿に先立ってなされた連行自体が、継続的な身柄拘束を意図したものであるとの疑いを生じさせることとなり、連行から採尿にいたる経緯にも令状主義を潜脱する重大な違法があると判断されることもあるだろう。

 予試験の結果が陽性であるにもかかわらず緊急逮捕が行われない場合についても同様である。本件でも、予試験はスムーズに行われたものの、本試験の鑑定結果が出るまでの間、緊急逮捕がなされないまま被疑者の身柄が二時間近くにわたって拘束されており、控訴審はこれを違法としている。もっとも、すでに予試験の結果などによって緊急逮捕の要件を充たしており、事実上の身柄拘束時間も逮捕した場合の制限時間を超えていないことを理由に、鑑定書の証拠能力への影響は否定された(*27)。しかし、当初の連行の時点から継続的な身柄拘束を意図していたのではないかとの疑いを払拭するためには、予試験の結果などから緊急逮捕の要件が満たされるときは、被疑者がことさら進んで滞留を希望する場合を除き、緊急逮捕を行って手続きの明確化に努めるべきであろう。

  本決定の傍論での判示を受けて、「強制採尿令状」に、特定の採尿場所を示して、そこへの連行を許可する旨の記載を含む令状が発付された例が、すでに報告されている(*28)。しかし、連行を許可する旨の記載についてはともかく、特定の採尿場所を記載する方法には、捜査実務の側からも抵抗が大きい。令状請求の時点では執行開始の時点での被疑者の所在場所を特定できず、令状請求時に予定していた場所での採尿を義務づけると、連行の距離・時間が増大し、かえって被疑者に不利益であると主張されている(*29)

 もっとも、多くの場合、捜査機関は「強制採尿令状」を請求する時点から執行の時点まで、職務質問や任意同行、あるいは警職法上の保護などによって、被疑者の身柄を事実上確保している。また、本件や[1](=[6])[2]の各判例の認定事実にも表れているように、採尿場所についても、令状請求の時点で、あらかじめ採尿を依頼する医師や病院の予約がなされることが多い。したがって、採尿場所を特定した令状請求も、かなりの事案で可能だろう。

 しかし、当然のことながら、令状請求時から執行開始時までの身柄の確保が任意処分の限度でしか許されない以上、令状請求後に被疑者がその場を立ち去ってしまう可能性も否定できない。本件でも、「強制採尿令状」執行前の身柄拘束が違法とされており、当初予定した場所へ被疑者を連行できたのは、そのような違法な留め置きの結果に過ぎなかったのである。したがって、仮に採尿場所を特定した令状を発付するとしても、現に行われているとおり、一般的な文言を含む例示的な記載を含まざるを得ない。採尿場所の記載は、最高裁が強調するような事前審査の機能よりは、むしろ連行の適法性の事後的な審査における判断材料としての活用を考える他ないであろう(*30)

  本決定が提示した扱いが実務に定着しつつあることに鑑みれば、「強制採尿令状」に基づく採尿場所への連行の許否についての争いは、少なくとも実務の現場からは消滅することになる。今後の議論は、本稿で論じてきたような、具体的な連行のあり方をめぐる各論的な問題として展開されることとなろう。そこでは、様々な個別事案の処理をきめ細かに分析することを通じて「判例法」の具体化を図ることが、さしあたっての課題となる。

 他方、最高裁によって個別問題についての一応の決着が示された以上、これまで否定説が行ってきた問題提起は、「捜索差押許可状による身柄拘束」という、少なくとも立法当時に意識された概念設定とは相容れないはずの解決をもたらしてしまうような方法論自体への批判へと、次元を移して展開される必要があるだろう(*31)。本決定がこのような解決を導かざるを得なかったことは、体液の採取過程を「物の占有の取得」になぞらえ、解釈論の枠内での処理に固執した昭和五五年決定のあり方自体の不合理性を明らかにしているというべきではなかろうか。

 また、本決定が示す、連行すべき採尿場所の事前審査が、実際には十分に機能し得ないことにも表れているように、近時、判例が新たに令状審査の対象に取り込みつつある新しい類型の強制処分については、既存の処分について前提とされてきた令状審査の方法によるのでは、処分の当否の判断や付すべき妥当な条件の確定が不可能な場面が多々あるように思われる(*32)。近時の判例の動向を批判し、立法論を視野に入れた問題解決を提言するにしても、令状発付の実体的な要件のみに議論を集中させるのでは不十分であろう。抑制すべき処分の性質に応じた令状審査のあり方についても、新たな検討が必要な時期にあることを、本決定からも読みとるべきであろう。



(1) たとえば、稲田輝明「判例解説」『昭和五五年度最高裁判所判例解説刑事篇』一七七頁(一九八五年)など。本件を含めた(判旨を参照)多くの判決が、右の令状を指して「いわゆる強制採尿令状」などの文言を用いることが象徴的である。なお、本稿もそれに倣って、以下では「強制採尿令状」の語を用いる。
(2) 昭和五五年決定の直後から問題の所在を指摘する見解があった。和田康敬「強制採尿の適否と法律上の手続」警察学論集三四巻一号一一一頁(一九八一年)、井上正仁「刑事手続における体液の強制採取」『法学協会百周年記念論文集第二巻』七一七頁(一九八三年)。
(3) [4][5]の両判例では、この問題が明確な争点とされていないためか、結論のみが簡単に判示されている。
(4) 判例[2]では、令状発付時に逮捕可能な嫌疑が認められたことも考慮されている。
(5) なお、日弁連の公式見解(一九九二年三月三一日理事会承認)として、日本弁護士連合会「覚せい剤捜査における問題の報告と提言」自由と正義四三巻五号一三二頁(一九九二年)。
(6) 河上和雄「判例評釈」(判例 1の評釈)『最新刑事判例の理論と実務』一九〇頁(一九九〇年)〔初出・判例タイムズ五三九号(一九八五年)〕、同「判例評釈」(判例[7]の評釈)判例評論三九二号六三頁(一九九一年)、古田佑紀「強制処分における実力行使の範囲」捜査研究三四巻五号二二頁(一九八五年)、中神正義「判例研究」(判例[6]の評釈)研修四四四号八三頁(一九八五年)、岩橋義明「判例研究」(判例[7]の評釈)研修五一三号三三頁(一九九一年)、安富潔「体液の採取(二)」警察学論集四五巻一二号一四一頁(一九九二年)。なお、肯定説におけるAB両構成の分布については、藤永幸治ほか編『大コンメンタール刑事訴訟法第二巻』二四七頁〔渡辺咲子〕(一九九五年)を参照。
(7) 菅原憲夫「捜索差押令状による採尿場所への強制連行」判例タイムズ五四二号八七頁(一九八五年)、立石二六「判例評釈」(判例[6]の評釈)判例評論三一九号七一頁(一九八五年)、浅田和茂「判例研究」(判例[6]の評釈)『科学捜査と刑事鑑定』一三九頁(一九九四年)〔初出・ジュリスト臨時増刊『昭和六〇年度重要判例解説』(一九八六年)〕、田口守一「判例評釈」(判例[2]の評釈)判例評論三九七号六二頁(一九九二年)、酒巻匡「判例評釈」(昭和五五年決定の評釈)別冊ジュリスト『刑事訴訟法判例百選(第六版)』六三頁(一九九二年)。
(8) 特に、岩橋・前掲注(6)三四頁、三井誠ほか編『刑事手続上』三〇九頁〔堀籠幸男〕(一九八八年)など。もっとも、一九八三年の時点では、警視庁では、身柄を拘束中の被疑者に対してのみ、強制採尿を行う運用が行われていたという。古山正幸「覚せい剤事犯捜索等の諸問題」警察学論集三五巻七号六七頁(一九八三年)。
(9) 特に、菅原・前掲注(7)八八頁。これに対する反論として、三井誠ほか編・前注書二九六頁〔柳俊夫〕。
(10) 特に、古田・前掲注(6)二二頁、佐藤文哉「判例評釈」(昭和五五年決定の評釈)別冊ジュリスト『刑事訴訟法判例百選(第五版)』五八頁(一九八六年)、河上・前掲注(6)判例評論三九二号六三頁。
(11) 浅田・前掲注(7)一四〇頁、田口・前掲注(7)一九二頁、三井誠『刑事手続法(1)』六五頁(補訂版、一九九五年)〔初出・法学教室一三七号(一九九二年)〕など。立石・前掲注(7)二四一頁、酒巻・前掲注(7)六三頁は、捜査機関の活動に勾引等の規定が準用されていないことを挙げる。
(12) 馬場俊行「判例研究」(判例[1]の評釈)警察学論集三七巻一二号一五六頁(一九八四年)が、判例[6]に直接的な影響を与えたことがうかがえる。他に、古田・前掲注(6)二四頁、田代裕昭「判例評釈」(判例[6]の評釈)別冊判例タイムズ『警察実務判例解説(捜索・差押え篇)』九一頁(一九八五年)、佐藤・前掲注(10)五八頁、岩橋・前掲注(6)三五頁など。
(13) 高木俊夫・大渕敏和「違法収集証拠の証拠能力をめぐる諸問題」司法研究報告書第三九輯一号一六九頁(一九八八年)、石丸俊彦ほか『刑事訴訟の実務上』四七八頁〔石丸俊彦〕(一九九〇年)。なお、勾引状の利用を提案したものとして、新関雅夫ほか編『新版令状基本問題』六一二頁〔小林充〕(一九八六年)。
(14) 清水真「判例評釈」(本決定の評釈)法学新報一〇二巻一号二三八頁(一九九五年)、中谷雄二郎「判例解説」(本決定の評釈)法曹時報四七巻一一号二〇八頁(一九九五年)、同「判例評釈」(本決定の評釈)ジュリスト一〇六〇号六七頁(一九九五年)。いずれも、A構成による許容説を支持し、判旨に賛同する。
(15) 田口守一教授が、下級審判例での構成の不一致を分析する際に用いた視点である。田口・前掲注(7)六一頁。
(16) 酒巻匡「判例評釈」(本決定の評釈)ジュリスト臨時増刊『平成六年度重要判例解説』一六七頁(一九九五年)。
(17) もちろん、そのような“実態”を指摘することは、これに積極的な評価を与えることを意味するわけではない。この点につき、後述。
(18) 辻裕教「判例評釈」(本決定の評釈)研修五五八号二四頁(一九九五年)。
(19) 本決定の“論理”からは、射程の限定は不可能であるとの指摘もある。酒巻・前掲注(16)一六七頁。
(20) 一一一条一項の問題としては、交通の妨害や被疑者のプライバシー侵害を回避する限度での移動を許容すべきであろう。
(21) 多くの場合は、警察車両で数十分走行すれば、採尿に適した場所への移動は可能であろう。しかし、交通の不便な地方では、問題が起こり得る。一九八五年当時の北海道の事情につき菅原・前掲注(7)八七頁。
(22) 和田・前掲注(2)一〇九頁、佐藤・前掲注(10)五八頁、渡辺咲子「血液・尿に対する捜索・差押令状の執行」河上和雄編『刑事裁判実務体系11巻・犯罪捜査』三〇九頁(一九九一年)。なお、馬場・前掲注(12)一五七頁、岩橋・前掲注(6)三五頁。本件も下級審の各判例も、被疑者が激しく抵抗した事案であったが、いずれも手錠等を利用しないまま連行することに成功している。
(23) 藤永幸治編集代表『シリーズ捜査実務全書8・薬物犯罪』一二六頁〔渡辺咲子〕(一九九五年)、飯畑正一郎「裁判官から見た覚せい剤事犯捜査の諸問題」警察学論集四五巻一二号三九頁(一九九二年)など。なお、高木・大渕・前掲注(13)一七一頁参照。
(24) 河上・前掲注(6)『最新刑事判例の理論と実務』一九一頁。なお、菅原弁護士は、実際上、身柄の解放が期待できないとの認識を否定説の論拠に加える。菅原・前掲注(7)八七頁。
(25) 予試験の技法につき、井上堯子「覚せい剤検査の現状と課題」警察学論集四一巻一〇号三九頁(一九八八年)、同「乱用薬物鑑定の現状と課題」科学警察研究所編『日本の科学警察』六六頁(一九九四年)。
(26) 採尿後の滞留の任意性確保について、飯畑・前掲注(23)三九頁。
(27) 上告審では争点とされなかった。
(28) 「強制採尿のため必要があるときは、被疑者を○○病院又は採尿に適する最寄りの場所まで連行することができる。」との条件が記載されたという。中谷・前掲注(14)「判例解説」二一四頁、田口守一『資料刑事訴訟法』六六頁(一九九五年)。
(29) 河上・前掲注(6)『最新刑事判例の理論と実務』一九〇頁、渡辺・前掲注(10)三〇一頁。
(30) 酒巻・前掲注(16)一六七頁も、事実上、捜査機関が第一次的な判断主体とならざるを得ないと指摘する。
(31) そのような方法論上の有力な批判の例として、小田中聰樹『現代司法と刑事訴訟の改革課題』三一三頁以下(一九九五年)〔初出・「刑訴法の理論状況の一分析(覚書)」吉川古稀『刑事法学の歴史と課題』(一九九四年)〕。
(32) たとえば、検証令状を用いた盗聴を認めた東京高判平成四・一〇・一五高刑集四五巻三号八五頁について、対象となる会話の特定が問題とされる。

※ 小野純一郎弁護士(仙台弁護士会)のご好意により、関係資料の一部をご提供いただいた。





Indexに戻る