大崎事件第3次再審請求特別抗告審・令和元年6月25日最高裁決定に関するコメント

南日本新聞朝刊(2019年6月27日)掲載



この記事について

大崎事件第3次再審請求の特別抗告審である令和元年6月25日の最高裁決定について、南日本新聞社からの依頼で同紙に寄稿したものです。鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部での再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却した決定です。


人権救済の制度から逸脱:中島宏(鹿児島大学法文学部教授)

最高裁が再審開始決定を取り消したのは驚きである。特別抗告は、下級審での決定が憲法に違反している場合と、過去の判例に違反している場合に限定して認められている。高裁宮崎支部の再審開始決定がこれらに該当しないことは明らかであった。

刑訴法では、下級審の決定に重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ「著しく正義に反する」場合に、最高裁が職権で元の決定を取り消すことが認められている。今回、最高裁はこの規定によって職権を発動して、開始決定を破棄した。しかし、再審は裁判の誤りを是正するためのしくみではなく、無実の人を冤罪から救うための人権救済の制度である。このことからすれば、再審開始決定を覆すための職権発動は原則として行うべきでないはずだ。著しく正義に反しているのはどちらであろうか。

最高裁は、心理鑑定の意義は相当程度に限定的であるとして、無罪を言い渡すべき明らかな証拠(明白性ある証拠)には当たらないとした。しかし、心理鑑定の手法に一定の限界はあるとしても、供述の信用性を減殺しうるものであることは、地裁の再審開始決定だけでなく、第二次再審請求での高裁決定においても肯定されている。減殺する力が一定程度でもあれば、他の証拠との総合的な評価によって明白性を検討すべきであるが、最高裁はその余地を最初から否定しており、妥当とは言いがたい。

死因に関する法医学鑑定についても、その手法の限界を指摘するとともに、他の証拠と合わせてみたとき、無実であるとの合理的な疑いを生じさせるものではないとした。合理的な疑いを否定する判断の核心には、「遺体が堆肥の中から発見されたという客観的状況から見れば、死体を遺棄したのはその敷地に住む被害者の親族以外にはありえない(そうであれば、殺人もまた同じである)」という前提がある。

しかし、それを中心に据えてしまえば、別の人物が死体を遺棄した可能性を新しい証拠によって具体的に示さない限り、共犯とされた人々の自白などの供述の信用性を揺るがすことはできず、新証拠の明白性を認めるのは不可能に近くなるだろう。最高裁は、事件をふりだしに戻しただけでなく、これまで3回の再審の中で蓄積してきた議論もまた、ふりだしに戻してしまったように思われる。

わが国の再審のハードルは極めて高く、「開かずの扉」と呼ばれてきた。その中にあって大崎事件は、3回の再審請求を通じて異なる3つの裁判体が開始決定を出した唯一無二の事案である。にもかかわらず、結局、再審は開始されない。再審を人権救済のための制度として機能させるためには、もはや刑訴法を改正し、ドイツなど諸外国を参考にして、再審開始決定に対する検察官の不服申し立てを禁じる必要があるだろう。今回の最高裁決定は、再審制度の抜本的な改革が、わが国の刑事司法制度の緊急課題であることを白日の下に晒している。




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