判例レビュー

二重抵当の設定が背任に問われた事件において、後順位となる債権者による承諾の存在を間接事実から推認して無罪とした事例

季刊刑事弁護29号144-146頁(2002年)



【キーワード】
供述の信用性
保釈と弁護活動
弁護人の冒頭陳述

事件番号 平成9年刑(わ)第2219号
宣告目 平成11年6月28日(控訴審で破棄、上告中)
裁判所 東京地方裁判所刑事第6部
裁判官 山崎学・高木順子・江見健一
検察官 住田邦生
弁護人 川原史郎・藤本一孝・関根栄郷・石部奈々子

参照条文 刑訴法318条・89条、刑訴規則198条1項

判決のポイント

事件

平成4年8月3日、被告人Xが経営するグループ企業のU社が、M信用金庫から1O億円の融資を受けた際、同じくグループ企業のT社が所有するホテル等を担保とする根抵当権設定契約を締結した。この根抵当権設定については、当事者問の合意により、設定登記を経ていなかった。平成5年3月17日になってXは・T社などを債務者としてO信用組合から20億円の融資を受けるにあたり、同じホテルについて重ねて根抵当権設定契約を締結し、O信用組合を先順位とする登記を完了した。これによってM信用金庫を後順位としたことにつき、Xを背任として起訴したのが本件である。

弁護活動

本件は、M信用金庫の経営破綻を受けて、不良貸付債権の回収管理がなされる過程において発覚した。警視庁捜査二課の内偵を経て、警察の主導により立件されている。東京都信用金庫協会による告発状があるが、Xに対する取調べが本格化したのちに作成されたものである。

弁護人は私選であり、Xに対する捜査が開始されたのとほぼ同時期に受任している。本件についてのXの主張は当初から一貫していた。すなわち、本件の登記は、O信用組合から20億円ずつ2回にわたって融資を受け、2回目の融資(結果として実現しなかった)によって得るはずの資金でM信用金庫への債務を履行することを前提に、M信用金庫の支店長であるKの承諾(以下、本件承諾)を得てなされたというものである。受任後まもなく在宅の取調べが本格化したので、弁護人は、[1]強制捜査の開始に備えて、Xが経営する企業の業務書類のなかから、Xの主張を裏づける証拠のコピーを保全する、[2]身柄拘束を防ぐために、事件の「筋」を違えて理解していると思われる捜査機関に対して(Xの主張を前提にすれぱ、実態は、Kによる会社に対する背任の共犯に近いと考えられる)上申書により説明を行うなどの弁護活動を行った。しかし、平成9年9月13日、Xは逮捕されるに至っている。勾留後、警察の取調官は、Xに対して「認めないと社員を逮捕する。警視庁を敵に廻すのか。お前の会社くらい潰せる」などと言って、概括的な自白を含む上申書を書くよう要求した。接見でこの事実を知った弁護人は、検察官に面会し、取調べの改善と事案の説明を行った。これが功を奏し、面会の翌日から右のような自白を強要する取調べはなくなったようである。その後もXが自白調書をとられることはなかった。Xは、同年9月30日に起訴された。Xの体調が悪化したこともあり、弁護人は保釈を繰り返し請求した。だが、検察官立証が終了していないことなどを理由に、裁判所はなかなか許可しない。弁護人が効果的な反証を準備するためには、Xが経営する企業の業務書類の洗い出しなど、X自身も弁護活動に関与することが不可欠であった。そこで、弁護人は、やむなく、検察官請求の書証に対する不同意部分を、事案の中核にあたる部分を残して大幅に撤回し、検察官立証の進行に「協力」した。検察官立証が終わった平成1O年3月31日にようやく保釈許可決定がなされている。

Xの保釈後、弁護側の反証準備が本格化する。本件は、被告人が主張するanother storyが存在する事件であるため、検察官の主張する事実を否定する消極方向での立証だけでなく、Xが主張するストーリーを積極的に立証することが意図され、証拠の洗い出しと整理が行われた。だが、ストーリーの中核である「承諾」の存在を直接に基礎づける証拠はない。そこで弁護人は、Xのストーリーと合致する事実で、その存在が認められれぱ本件承諾の存在をも問接的に推認し得るであろう問接事実を設定し、客観的証拠や各関係者の供述内容によって、それらの問接事実の存在を基礎づけることとした。

弁護団とXによる、合宿をも含めた約1ヵ月の準備を経て、同年5月20日の公判期日において、弁護側立証の最初に、Xが主張するストーリーに基づく詳細な冒頭陳述が行われた。それ以降の公判は、弁護人が設定した課題を審理の対象とされ、いわば「攻守所を変えて」弁護側の主導により進行したようである。なお、問接事実のうちO信用組合からの融資約束につき、本件の発覚以前に、別人の事件の捜査においてXが参考人として供述した大阪府警の捜査官による員面調書が存在することが明らかになり、弁護人から証拠開示の申立てがなされている。検察官は、右調書の存在を知らなかったようであるが、裁判所により開示の勧告がなされ、最終的には、証拠採用された。

本件が無罪判決を得た重要な要因のひとつは、弁護側立証における周到な準備と詳細な冒頭陳述によってanother storyを描き切ったことだろう。もっとも、無罪を主張するすべての事件で、another storyが提示できるわけではない。また、本件での充実した立証準備は、被告人自身の身柄拘束が解かれたことによってぱじめて可能となっている。保釈を得るために本来は予定しなかった書証への同意を強いられていることにも鑑みれば(本件では、幸いにして不同意のまま残す範囲につき適切な見極めがなされたため、成功例となってはいるが、事件によっては微妙な判断となる)、弁護人が反証の準傭に投じる資源を増やせば足りるというものではなく、結局のところは、防御活動と被告人の身柄をめぐる裁判実務の構造的な問題(いわゆる人質司法)に帰着することになろう。弁護人による冒頭陳述は、検察官による冒頭陳述に続いて行うのが好ましいとの指摘もあるが(荒木伸怡『刑事訴訟法読本』〔弘文堂、1996年〕151頁)、身柄事件における現実的な困難が、本件の経緯からも窺えよう。

判決

判決は、弁護人が冒頭陳述およびそれに続く立証活動を通じて設定した「土俵」に乗ったうえで事実認定を行った。まず、本件承諾の有無をめぐって対立しているXとKの各供述のどちらが正当であるかを、本件の実質的な争点として位置づけている。そのうえで、本件およびその前後の事情の中から弁護人が抽出したのとほぼ同じ問接事実を列挙し、それらを1つずつ認定していくことによって、同意の有無(=主要事実)に関する各供述の信用性を判定した。

判決が問接事実として設定したのは、[1]KがXの関連会社を訪問した日付(Xは、3月12日に、関連会社を訪れたKから本件承諾を得たとするが、Kは、関連会社の訪問はその前日でありXとは会っていないとする)、[2]XがO信用組合から20億円ずつ2回にわたって融資を受ける約束をしていたか否か、また、[3]当該融資を受ける交渉をしていたことをXがKに伝えていたか否か(Xの供述どおり融資の約束があり、Kがそのことを承知していたとすれば、KがXに本件承諾を与える動機が認められる)、[4]本件の後、Xの資金繰りのためにKが架空送金を行ったか否か(Kの承諾を得ずに本件登記がなされたとすれば、その後にKがXにそのような便宜を与えるとは考えにくい)、[5]XとKとの癒着関係、[6]3月12日当時、KとXの間で本件承諾が行われる動機や背景事情があったか否かである。そして、(a)帳簿その他ルーティンで作られた業務上の書類や、関係者の日記、航空券などの客観的証拠、(b)XとKの各供述の変遷や不自然さの有無、(c)関係者供述の信用性などに着目しつつ、それぞれの問接証拠ごとに事実認定を行った。認定手法の詳細については判決文を参照されたい。結論として、[1]についてはいずれの日付が正しいか判断不可能であり、[2]〜[6]にっいてはいずれもXの供述内容に沿う事実が認められるとして、X供述の信用性を切り捨てることはできず、本件承諾がなかったと認定するには、合理的な疑いが残ると判示し、無罪を言い渡した。

控訴審判決について

なお、本判決に対しては、検察官が控訴し、東京高裁は平成13年9月11日、本判決を破棄して、被告人に懲役1年6月の有罪判決を言い渡しているので、その内容にも付言しておきたい。控訴審判決は、原判決が設定した問接事実の有無については詳細な検討を行っていない(すなわち、弁護人が設定した「土俵」の意義を認めなかった)。そもそも本件承諾はKの権限として行いうるものではないことを前提として示しつつ、[1]融資の規模から見て異例である「保証書による登記」がなされたこと、[2]XとM信用金庫との契約によれば書面による承諾が必要であること、[3]Xへの債権の保牟に対してM信用金庫が当時とっていた厳格な対応からは担保価値の減少を補填する措置もないまま担保解放に応じることは金融取引として考えにくいことなどから、本件につきM信用金庫の承諾はなかったと認定した。そして、本件承諾を口頭で行ったことはないとするKの供述内容については、自己の一存で承諾すればM信用金庫に重大な損害を与え自己の責任も追及されるはずであることから合理的であり、3月12日の勤務状況等について裏付けもあるので、信用性を否定すべきでないとした。また、被告人の供述については、Kから承諾を得られる見込みがあったとするにもかかわらず、事前に登記済証の交付をKに依頼せず、旅行の問際にKが立ち寄った際に突然、代替担保等の裏付けを示すこともせずに口頭で承諾を求め、(実際には登記済証はKの勤務する支店に保管されていたにもかかわらず、それを求めずに)保証書による登記を行ったという経緯は不自然であるなどの理由で、信用性を認めることは困難であると判示した。被告人が上告し、現在、最高裁に係属中である。

本稿の執筆にあたり、弁護人の一人である第一東京弁護士会・川原史郎弁護士から、さまざまなご教示を賜った。記してお礼を申し上げる次第である。

中島宏(なかじま・ひろし/大東文化大学非常勤講師)


判決文

【主文】
被告人は無罪。

【理由】

第一 公訴事実及び争点

一 公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、平成4年8月3日、自己が経営するグループ企業であるU社(代表取締役A)がM信用金庫(理事長B)から10億円の融資を受けて債務者となった際、同グループの企業であるTゴルフ株式会社(代表取締役イ)が所有する広島県○○番地及びその隣接地に所在するホテル(鉄骨鉄筋コンクリート造、瓦・銅板葺、地下2階付き3階建て、床延べ面積3445.61平方メートル)をその担保とすることとし、Tゴルフ株式会杜と同金庫との問で根抵当権設定契約を締結し、低当権者である同金庫に同設定契約書、同ホテルの登記済権利証・委任状等同根抵当権設定登記に必要な書類を引き渡し、その登記に協力すべき任務を有していたものであるが、未だその登記がされていないことを奇貨として前記任務に背き、自己の利益を図る目的で、平成5年3月!7日、O信用組合(理事長A)から前記丁ゴルフ株式会社ほか2社を債務者として合計20億円の融資を受けるに当たり、同信用組合との問において、前記ホテルについて根抵当権設定契約を締結した上、同日、同町大字○○番地所在の広島法務局○○支局○○出張所において、情を知らないロ司法書士事務所事務員ハをして同信用組合を先順位の根抵当権者とする登記申請をさせてその登記を完了し、もって、同金庫の前記根抵当権を後順位とすることを余儀なくさせて同金庫に財産上の損害を加えたものである。」というものである。

二 争点

本件公訴事実中、被告人とM信用金庫(以下「M信用金庫」という。)との問で、平成4年8月3日、10億円の金銭消費貸借契約が締結され、同日、被告人は10億円を借り入れたが(以下「本件借入れ」という。)、担保として、公訴事実記載のホテル(以下「Tホテル」という。)に第一順位の根低当権を設定する契約が存在したものの、合意の上で設定登記を経ないでいたところ、被告人は、平成5年3月19日、O信用組合(以下「O信用組合」という。)から、関連会社3杜の借入名義で20億円を倍り受け、それに先立つ同月17日、Tホテルにつき、O信用組合との間で根抵当権設定契約を結び、同日、その旨の登記(以下「本件登記」という。)を経由して、O信用組合に対し第一順位の根抵当権を取得させたため、M信用金庫が第一順位の抵当権を失ったことは、本件証拠上明らかであり、当事者も争わない事実である。

ところで、弁護人らは、本件登記が経由された平成5年3月17日に先立つ同月12日午前中、被告人において、その経営する甲コーポレーション(以下「甲」という。)で、20億円の融資をO信用組合から受けるに当たり、M信用金庫r長K(以下「K」という。)から、TホテルにO信用組合の第一順位の本件登記を経由することの承諾(以下「本件承諾」という。)を得たので、公訴事実記載の任務違背の事実がなく、被告人は無罪である旨主張し、被告人も、当公判廷において、これに沿う供述をする。これに対し、検察官は、本件承諾の事実はなく、被告人が有罪であることは証拠上明らかであると主張し、Kもこれに沿う証言をする。

このように、本件の争点は、本件承諾の有無に絞られ、その判断は、ひとえに、対立する被告人及びK(以下、単に「両者」という。)の供述のいずれが信用できるかに係っている。そして、両者の供述の信用性の判断に当たっては、本件審理で当事者双方が攻防を尽くした問接事実を慎重に吟味しなければならないが、まず、両者の各供述をまとめた上、個々の問接事実を検討することとする。

第二 両者の供述の概要

一 被告人の供述

1 被告人は、平成4年7月24日ころ、被告人の経営するU社(以下「U社」という。)が建設中の甲ゴルフクラブMOコース(以下「MOコース」という。)のp組に対する工事代金の支払に窮し、M信用金庫B理事長(以下rB」という。)に融資を申し入れた。Bの口利きで、同月28日・江古田支店長時代から取引があったKの勤務するM信用金庫r(以下「r」という。)から本件借入れを受けることになり、担保については、Tホテルに根抵当権を設定することとなったが、被告人の希望で、権利証等の登記書類一式をM信用金庫に預けるが、登記は経由しないでおく、いわゆる「設定用意」とすることで合意に達した。M信用金庫は、同年8月3日、本件借入れを実行した。

2 被告人は、当初、本件借入れの返済原資として、MOコースの会員権の売却金を充てるつもりであったが、結局、予定通り売却できず、平成4年9月28日の一括返済期日に返済することができなかった。その後も、被告人は、Kに対し、折りに触れ、乙ファイナンスやO信用組合に対し融資を打診しているので、返済を待ってくれるよう頼んでいた。

3 ところで、被告人は、丙信用組合C理事長(以下「C」という。)に135億円を融資していたが、その回収が進まず、資金繰りが苦しかったため、平成4年11月ころ、O信用組合A理事長(以下rA理事長」という。)に対し、40億円の融資を申し込んだ。A理事長からは、融資の条件として、O信用組合において多額の資金を投入していた丁観光開発株式会社(以下「丁観光」という。)が開発中のゴルフ場の経営の肩代わり、O信用組合の関連ノンバンクであるO抵当証券の焦げ付き債権について、宮崎市内にあるその担保物件(以下「宮崎物件」という。)の競落人の紹介方を要求され、被告人はいずれも応じることにした。また、平成5年2月ころ、A理事長は、40億円の融資の条件として、融資仲介手数料の名目で、O抵当証券に対し、2億円(以下「本件2億円」という。)を支払うよう求め、被告人はこれも了承した。A理事長は、同月下旬か3月初旬ころ、被告人に対し、40億円の融資は、まず第1弾として、3月末までの決算年度内に20億円を融資し、決算年度が改まった後に残20億円を融一資する旨伝え、被告人も了解した(以下「40億円融資約束」という。)。

4 被告人は、A理事長から、先行する20億円の融資について、Tホテルを含むTゴルフコースを担保とするよう依頼を受け、平成5年2月の末か3月の初めころ、Kに対し、o信用組合と融資の交渉をしていることや、O信用組合に担保を入れるためTホテルについて担保の差替方を依頼した。し牟るに、同年3月11日午後2時46分、O信用組合から、第1弾の20億円の借入れに必要な書類を整えて同月15日にO信用組合に持参するよう指示するファックスが甲に入った。同日午後5時ころ、これを見た被告人は、Kに電話をかけ、O信用組合からの融資が決まったので来社するよう求めたところ、Kは、翌12日に来社する旨答えた。

5 Kは、平成5年3月12日(金曜日)から14日(日曜日)まで、被告人経営の甲ゴルフクラブ宮崎コースで顧客とともにゴルフをするため、同月12日羽田空港から宮崎へ空路出発する予定であり、予め、被告人に対し、航空券等の手配を依頼していたため、同日午前中、ゴルフシャツ姿で甲を訪れた。被告人は、Kに対し、O信用組合からのファックスを見せた上、第1弾の20億円からはM信用金庫に返済できないものの、第2弾の20億円から本件借入れに係る10億円を返済する旨を改めて告げた。そして、第1弾の20億円の担保として差し入れるTホテルの権利証を3月15日昼過ぎまでにO信用組合に持参しなければならないので、すぐに返還してくれるよう要請したが、Kは、権利証はM信用金庫本部にあるから問に合わないなどと答えていた。しかし、被告人がO信用組合から保証書でもよい旨確認をとったため、結局、Kも、本件ホテルに、O信用組合のため、傑証書を使用して第一順位の本件登記をすることにっき承諾した(本件承諾)。

6 平成5年3月19日、被告人の関連会社3社を債務者として、O信用組合から、40億円融資約束に基づき、第1弾として20億円の融資が実行された。この日、被告人は、本件2億円の支払約束を履行するため、2億円の預金小切手をO抵当証券に交付し、その領収書を受け取った。なお、領収書の宛名は、O信用組合から、融資先3社宛では不都合である旨言われて、被告人の提案で甲リゾート宛とした。

7 被告人は、平成5年3月20日、A理事長、O信用組合の役員D,O抵当証券杜長Eを宮崎に招待し、第2弾の20億円融資の担保となるべき物件を視察させた。ところが、同年4月末を過ぎても、第2弾の20億円の融資が実行されず、被告人の催促にもかかわらず、A理事長は、他の貸付金が返済されたら融資できるなどと言うのみであった。そうこうするうち、被告人は、A理事長から、大阪府や東海銀行に提示するため必要であると懇願されて、同年5月10日ころ、丁観光のゴルフ場経営肩代わりについて、Eとの問で、A理事長を立会人として覚書を作成した。さらに、A理事長は、同年6月ころ、被告人に対し、第2弾の20億円融資実行の更なる条件として、O信用組合の丁観光に対する迂回融資への協力を求めてきた。第2弾の融資を期待していた被告人もこれに応じて、同年7月末か8月初めころ、関連会社であるa商事の名義を貸し、迂回融資が実行された。

8 しかしながら、A理事長が第2弾の融資を実行しないため、被告人は、その実行を催促する一方で、20億円しか融資されないのであれば、既に支払った本件2億円は1億円でよいはずであるとして、1億円の返還を請求したりした後、ついには、40億円融資約東への見切りを付け、a商事への迂回融資を解消し、その担保として設定していた根抵当権仮登記を平成6年10月18日抹消したりした。

9 ところで、平成5年5月10日、同日を支払期日とし、M信用金庫本店を支払場所とする甲振り出しに係る額面1億円の約束手形がM信用金庫本店に取り立てに廻ってきた。被告人は、金融業者であるb開発株式会社(以下「b開発」という。)から右手形の決済資金の調達を図ったが、翌5月11日午後にならないと資金を受け取れないことが判明した。そこで、被告人は、翌5月11日の店頭返還呈示時限(午前11時)まで不渡処分を待ってくれるようM信用金庫本店に依頼し、その了解を得たが、その店頭返還呈示時限までには4400万円強しか調達できなかった。

10 被告人は、5600万円の不足分について、Kに対し、平成5年5月11日午後3時までにrに現金を持ち込む旨約束した上、同日午前11時の店頭返還呈示時刻までに振込手続を完了するよう依頼した。Kは、甲の社長室において、rFに電話をかけて、「5600万円の現金がここにあるから。」などと言って、M信用金庫本店の甲名義の当座預金口座に5600万円の振込手続をとるよう指示した(以下、この5600万円の振込手続を単に「本件カラ送り」という。)。

11 平成5年5月11日午後2時前、b開発から、c銀行東京支店の被告人名義の口座に9000万円が振り込まれたため、被告人は、Kとともにc銀行東京支店に赴き、5600万円を払い戻し、rに向かった。Kは、同日午後3時までに現金5600万円を支店に持ち込んだ。

12 被告人は、甲の経理事務担当者であるGに指示し、5600万円の経理処理について、Kから借用し、同日返済したと起票、記帳するよう指示し、Gは、その指示に従って、甲の仮受金勘定元帳や振替伝票を作成した。

二 Kの供述

1 被告人が、本件借入れの返済日である平成4年9月28日を過ぎても、一向に弁済しようとしないことから、Kは、再三にわたり、催促したが、被告人は、他の金融機関からの資金繰りを行っているので、もう少し待ってくれと返答するのみであった。しかし、M信用金庫では、返済優先という方針を採り、根抵当権については、設定用意のままにしておいた。

2 Kは、平成4年12月中旬ころ、被告人から、本件借入れの担保をTホテルから、宮崎県にあるU社所有のdゴルフの土地に差し替えてくれるよう依頼を受けた。Kは、Bに相談した上、返済が優先であるし、dゴルフの担保価値が少なかったため、被告人の申出を断った。

3 Bが、平成5年1月10日前後にM信用金庫を退職した直後から、M信用金庫には、大蔵省の定期検査が入り、同年2月後半くらいまで続いた。大蔵省の検査中に、Kは、検査官から、本件借入れに関し、融資の理由等、について、厳しい検査を受けた。大蔵省の検査終了後、Kは、M信用金庫の本部に呼ばれ、H新理事長とI担当理事の2人から、今後は、本部の指示に従い、勝手な行動は慎むよう注意を受けた。

4 Kは・平成5年2月終わりか、3月上旬ころ、被告人から、担保をdゴルフの土地に替えてくれるよう、2度目の担保差し替えの依頼を受けた。2,3日後、Kは、I担当理事らと相談の上、担保価値の減少につながるとして、被告人の申出を断った。その後、M信用金庫では、Tホテルに対する抵当権を実際に登記するとの意見も出たが、Kが、会議の席上、設定用意の状態のままの方が、本件借入れの回収を図りやすいなどと発言したこともあって、M信用金庫は、結局、その状態を維持した。

5 Kは、平成5年3月12日から14日にかけて、被告人がオーナーとなっている甲ゴルフクラブの宮崎コースに、rの有力客2名とゴルフに出掛けた。それに先立ち、Kは、甲のGに対し、ゴルフ場と航空券の手配を依頼したが、出発の日が平日の金曜日であったため、飛行機の便はできるだけ遅い便にしてくれるよう注文した。Kは、Gから航空券が取れた旨の連絡を得て、同月11日午前中、3人分の航空券代金を持参して、甲へ赴き、Gから、代金と引き替えに航空券を受け取った。この日は、被告人とは会っていない。Kは、3月12日午前8時15分から30分の問に、背広を着用して、M信用金庫rに出勤し、正午ころまで店長としての職務を行い、その後、予定どおりゴルフに出掛けた。したがって、3月12日には、甲に行ったことはないし、無論本件承諾をした事実もない。
6 Kは、平成5年3月16日、被告人と会合を持ったが、その際、被告人は、本件借入れについては、4月30日までに返済すること、金利は、3月31日までに全額支払うことを約束した。Kは、この申出を本部に報告し、了解を受けた。3月16日の会合の際、被告人から、資金繰りで動いているとの説明があったが、具体的な返済原資、例えば、O信用組合からの借入等については、記憶にない。なお、Kは、I担当理事から、本件借入れに関し、通称不良債権管理台帳を作成するよう指示を受けて、この3月16日以降、被告人との交渉経過を右管理台帳に記載するようになった。

7 ところが、被告人から、新しい返済期日である4月30日にも支払がなく、Kは、平成5年5月7日、Tホテルの登記簿謄本を見た本部のJ部長から、O信用組合が第一順位の根抵当権の設定登記をしていることを聞かされた。Kは、予想も付かない事態に驚傍し、本部に出向き、至急返済を迫るよう指示を受けて早速被告人と会い、問いただした。この際、披告人は、Kに対し、「O信用組合から、2回に分けて借りるので、その中でM信用金庫に返す予定だったが、資金繰りの関係で、結果的にできなくなったので、至急今手当てをしている。」などと言い訳をした。Kは、この日初めて、O信用組合の話を聞いた。

8 本件借入れの返済さえあれば、後はどうでもよいと考えていたKは、被告人個人名義の額面10億円の小切手を切るよう強く求めたが、被告人は、Kに対し、代わりに、Tゴルフ振出しの額面10億円の手形を提示し、この手形でM信用金庫の理事長に了解を取ってくれるよう依頼した。Kは、手形を受け取らずに、本部に報告に赴いた。本部において、KがI担当理事らに相談した結果、K個人の判断で動かないようにと強く要請されるとともに、5月10日には、被告人が提示したTゴルフ振出しの右手形を本部まで届けるよう指示され、被告人から手形を預かり本部に届けた。

9 ところで、平成5年5月11日午前10時半から11時の問、甲の社員Lから、Kに対し、5600万円(1000万円の束5個及び100万円の束6個)の現金を、M信用金庫本店の甲の当座預金口座に送金するよう依頼があったので、Kは、rの出納元方であるNに送金を指示した。また、Kは、Fに依頼書を記載するよう依頼した。一方、Kは、5600万円を持参して、r前まで車で乗り付けたLに対し、本件借入れの返済は、どうなっているのか愚痴をこぼした。

10 平成5年5月11日午後2時前後、甲に出掛けたKは、被告人に対し、新たな担俣や、第一順位の地位の譲渡を依頼するよう要求した。この際、Kは、被告人から、資金が不足しているところであると、窮状を訴えられ、個人的に1000万円を貸与した。また、Kは、Nから頼まれて、5600万円の送金手数料412円を甲の社員から受け取った。

第三 検討すべき問接事実

一 問接事実の選択

 以上、両者の供述を、本件借入れから本件登記の発覚に至る経緯、本件借入れの返済を巡る両者問の交渉状況、本件登記発覚後の両者間のやり取りなどについて、時問の流れに沿って概観したが、両者の供述内容からすると、本件承諾の有無を巡って対立する両者の供述の信用性を判断するに当たっては、間接事実として、(1)Kが甲を訪問した日は、平成5年3月12日か11日(以下、本判決中の月日は、特証しない限り平成5年のそれを指す。)か、(2)被告人は、O信用組合から40億円融資約束を得ていたか否か、(3)被告人は、Kに対し、従前から、O信用組合との問で融資の交渉中であることを告げて、その実現のために、Tホテルにっいて担保の差し替えを要請していたか否か、(4)本件登記の経由が発覚した後である5月11日に、Kが、被告人の依頼に基づいて、本件カラ送りを実行し、被告人のために便宜を計ったか否か、(5)従前からのKと被告人との癒着関係の程度、(6)Kが本件承諾を与えたと被告人が主張する3月12日前後の両者の情勢如何といった諭点が重要である。

二 各間接事実の位置付け

なぜならば、(1)のKの甲訪問日については、前記のとおり、被告人は、3月12日にKが甲を訪れ、その際に本件承諾を得たと主張するのに対し、Kは、甲を訪れたのは3月11日であったとして被告人の主張を否定するのであるから、Kが甲を訪問した日がいずれであるのか確定できれば、本件承諾の有無につき、両者のいずれが虚偽を述べているのか明らかになるというべきだからである。(2)及び(3)の40億円融資約束の有無及びそれを巡る両者問でのやり取り如何の点については、これらの事実が存在すれば、Kに、O信用組合から被告人に対する本件融資を実現させることにより、本件借入れについての弁済を受けられるとの強い期待を生じさせ、本件承諾を与える動機が認められるというべきであるのに対し、これらの事実が否定されれば、被告人が、O信用組合から本件融資を得て、M信用金庫に本件借入れを弁済するために、本件承諾を得たという主張の根幹が崩れるからである。(4)の本件カラ送りの有無の点については、仮に、Kが述べるとおり、本件承諾の事実がなかったとすれば、本件登記の経由は、M信用金庫のみならず、本件借入れ及びその弁済についての担当者であったK自身に対する重大な背信行為であるから、その発覚後に、Kが違法な架空送金をしてまで被告人の便宜を計るとは考え難いのに対し、被告人が述べるとおり、本件承諾の事実があったとすれば、Kが、その後に更に被告人の便宜を計ったとしても不自然ではないといえるからである。(5)の癒着の有無程度の点は、一般的に、被告人とKの関係が従前より深い癒着関係にあったかどうかを検討することにより、(6)の3月12日前後の両者の情勢は、より具体的に、本件承諾があったと被告人が主張する時期における両者の情勢を検討することにより、いずれも、背景事情として、本件承諾をKが被告人に与えたとしても不合理でない関係や状況にあったか否かという観点から、本件承諾の有。無の認定に資するからである。

そこで、以下、各諸点について、証拠を検討することとする。

第四 Kの甲訪問日

一 両者の対立Kの甲訪問日を検討するに当たり、両者のこの点に関する供述を改めて子細にみておくこととする。

まず、被告人は、Kが、3月12日から宮崎にゴルフに出掛けたことがあり、航空便、宿泊、ゴルフ場の手配をKから直接頼まれていた、航空便については、会社にある全日空の航空券を発券する機械から、3月10日にオープンチケットを発券して用意した、Kは、3月12日午前中にゴルフに出掛ける服装をして甲を訪れた、被告人はKに対して全日空のオープンチケットを渡し、Kから代金を受け取って、被告人の関連会社であるeメディカルの伝票で入金を起票させた、なお、予め搭乗便が決まっている場合には、被告人は、右発券機から便名を特定した全日空の航空券を用意することができるし、また日本エアシステムの航空券を半額で入手することもできる、Kは、飛行場から、電話で、全日空ではなく日本エアシステムに乗る旨、搭乗便を特定して知らせてきたので、被告人は宮崎に電話をかけ、宮崎空港までKらを車で出迎えるよう連絡を取った、このKの甲訪問の際に本件承諾を得たものである旨述べる。

これに対して、Kは、3月12日から14日にかけて、甲ゴルフクラブの宮崎コースに、rの有力客2名とゴルフに出掛けることを予定していた、そこで、予め、甲の社員であるGにゴルフ場と航空券の手配を頼んでおいた、航空便については、航空会社等を指定してはいないが、業務が終わってから行きたいと思っていたことから、できるだけ遅い便を希望しておいたところ、Gから、ちょっと早めの便になるが、よろしいかということを聞かれたことがある、3月11日午前10時37分にrのCDコーナーにおいて、キャッシュカードで3人分の航空券代金に相当する15万円を引き出し、同日午前11時半から12時までの間に、右現金を持参して甲へ赴いた、Gから、代金と引き替えに、航空券を受け取ったが、その切符には便名が記載されてあったと思う、航空券を受け取った際に、Gから、飛行場では何番のカウンターに行けば話が分かると言われ、また、宮崎空港に迎えが来ることも聞いたと思う、3月12日は、午前中通常どおり、rで勤務し、午後からゴルフに出掛けた、羽田空港で複数のカウンターを移って搭乗手続を取った記憶はない、羽田あるいは宮崎の空港から被告人に電話をかけた記憶はない、3月12日には甲を訪れていない旨述べており、両者の供述は鋭く対立している。

二 被告人供述の信用性

1 まず、被告人の前記供述については、以下に述べるような裏付証拠が存在する。第一に、eメディカルの経理事務を担当していたPの検察官に対する供述調書(甲32号証)及び弁護人作成の報告書(弁26号証)添付のeメディカルの振替伝票、現金出納帳等には、Kから、3月12日に、東京から宮崎までの航空券代及び消費税として現金14万9280円を受領した旨の記載がある。当該振替伝票の通し番号は、前後のそれと連続している。現金出納帳についても、不審な記載状況はない。さらに、Pは、右の航空券代等にっいて3月12日に伝票処理しているから、同日受け取ったことには間違いない旨述べている(甲32号証)。以上の事実からすれば、振替伝票及び現金出納帳の正確性を嘉わせるような特別な事情はなく、その記載内容は事実を正確に記載したものであるといってよく、被告人供述を裏付けている。なお、検察官は、帳簿が改竄された可能性や入金が翌日回しにされた可能性を指摘するが、単なる可能性にすぎず、これを認めるに足りる証拠はない。

第2に、検察事務官作成の捜査報告書(甲44号証)添付のアカウントクーボン、Gの供述調書(甲29号証)、被告人の供述調書(乙4号証)等によれば、Kに交付された航空券は、3月10日に甲に備え付けられた全日空の発券機から発券されたオープンチケットであり、実際にKらが乗車した便は、3月12日午後3時40分羽田発、5時25分宮崎着の日本エアシステムの便であったことが合理的に推認されるから、搭乗便が予め決まっていなかったところ、Kが空港から被告人に便名を知らせ、それを被告人が宮崎コースの運転手に伝えた旨の被告人供述には納得できるものがある。とりわけ、宮崎コースの運転手の手帳(乙4号証添付資料5)の3月12日の欄に「17:15空港へお客迎え(3人)」との記載があることは、有力に被告人の右公判供述を裏付けている。

第三に、後に述べるように、Kが3月12日午前10時6分ころrにおいて業務に従事していた(Kが同時刻に、支払伝票に決済印を押捺していることから認められる。)としても、K供述によれば、同支店から新宿区市谷にある甲には、永福町駅から井の頭線で明大前駅まで行き、そこで地下鉄新宿線に乗り換え、市ヶ谷駅まで行くルートで、所要時問4、50分であるというのであるから、午前10時過ぎにrを出掛けて、甲で航空券を受け取った上、ゴルフに出掛けるべく、午後1時ころ同支店付近の集合場所(Q宅)に到着することは可能であるし、K自身、時問的には可能であることを認めているのである。

2 これに対し、検察官は、被告人供述について、3月12日Kが甲を訪問した時刻にっいて、捜査段階では、午前9時ないし午前9時30分ころと述べていたのに、公判廷では、午前中であったと供述を変えており、このような重要部分に変遷のある被告人供述は信用できないと論難する。確かに、検察官の主張のとおり、被告人のこの時刻の点の供述には変遷が認められる上に、被告人は、検察官に対する供述調書(乙8号証)において、当時たまたま来合わせたf建設m営業所のRの来訪時問と絡めて、Kが午前9時30分ころ来訪したとして、その状況を具体的に述べていることからすると、何故公判廷でその供述を変えたのか、前記支払伝票に押捺されたKの決裁印を突き付けられて供述を変えたのではないかとの疑問が残り、被告人供述の信用性を疑わしめている。

なお、検察官は、3月12日午前9時18分に出力された融資取引現況表(甲44号証添付)には、Tゴルフの印鑑登録証明書の期限が同月18日に切れる旨の記載があり、Kも、同月12日Gに対してその差し替えを依頼した旨述べているのであるから、被告人が供述するとおり、Kが同月12日に甲を訪れているのであれば、その際に、Kは、新しい印鑑登録証明書を受け取ったはずであると考えられるのに、実際には同月15日になって受け取っているということは、Kが同月12日に来杜したものではないことを示す証左である旨主張するが、印鑑登録証明書の期限は同月18日であるというのであって、時問的な余裕があったと認められるから、わざわざ、ゴルフに出掛ける直前という落ち着かない時に急いで受け取る必要もなかったとも考えられ、被告人供述の信用性を決定的に動揺させるには足りない。

三 K供述の信用性

1 次に、甲訪問日に関するKの証言の信用性を検討することとする。前記の甲44号証添付の預金取引明細書1及び支払伝票2通によれば、Kが3月11日午前10時37分に航空券代金に相当する現金15万円を引き出していること、3月12日午前10時6分という時刻が打刻された支払伝票にKの決済印が押捺され、同日午後2時54分という時刻が打刻された支払伝票にr次長であるF(以下「F」とレ)う。)の決済印が押捺されていることが認められる。Fは、当公判廷において、3月12日の出来事を問われて、Kは午前中通常どおりに業務を行い、午後1時ころ、「後の業務を頼むね。」と述べて、背広姿でゴルフ用バッグを持って出掛けた旨証言し、Kのゴルフ旅行に同行したQとSは、3月12日午後1時ころ、rの2,3軒並びにあるQの事務所に3人で集合して羽田空港にタクシーで直行したと述べている(同人らの各供述調書、甲40,41号証)。これらの事実及び右各証拠は、3月11日に甲に航空券を取りにいったのであって、3月12日は、午前中通常どおり勤務しており、甲には出向いていない旨のK供述を裏付けている。

2 ところで、第一に、前記甲44号証添付のアカウントクーポン、Gの供述調書等によればKに渡された航空券は、3月10日に甲に備え付けられた全日空の発券機から発券されたオープンチケットであることが認められるところ、「甲から交付を受けた航空券には既に便名は書いてあったと恩う。Gから、希望よりも出発時刻が早めになると伝えられたことがあったと思う。羽田空港で搭乗便を決定するため、複数のカウンターを移動して諸手続をした記憶はない。」旨のK供述は、実際にKらが搭乗した航空券の種類や搭乗手続に反していることは事実である。

第2に、Kは、3月12日、業務に従事してから出発するためになるべく遅い便を頼んだと供述している(第2回公判)にもかかわらず、ゴルフに同道したQの供述調書、被告人の供述調書(乙4号証)等によれば午後1時ころにQの事務所に集合して羽田空港に向けて出発し、午後3時40分発の便で出発していることが認められ、そのように午後早くに空港へ出発することには不自然さも感じる。かえって、被告人が供述するとおり、搭乗便が決まっていなかったから、早めに出掛けたと考える方が自然であるともいえる。

第三に、先に述べたとおり、Kらが搭乗した航空便は日本エアシステムの便であったと認められるが、被告人は、仮に、日本エアシステムの便に搭乗することが予め決まっていたとすればKのために、格安の半額券を用意できたと反論しており、この反論にもうなずけるところがある。

このように考えてくると、航空券を受け取りに甲に赴いた日が3月11日であって、12日ではないと断言するK供述は、客観的証拠から認められる事実に反する部分があり、内容自体の不自然さもある。

3 次に、K供述を裏付けている前記の関係各証拠について、検討してみる。

3月12日についてのF供述は、「午前8時30分ころ、Kが背広姿で、紫色がかったえんじ色のようなゴルフバッグを持って出勤し、Fに、『今日はQさんとSさんとゴルフに行くので、時間前にあがらせてもらいます。あとよろしくお願いします。』と言った、Kはその後はずっと支店にいて通常どおり執務をし、午後零時半か午後1時ころまでの問に、ゴルフバッグを持って、『じゃあ次長、Qさんのところで待ち合わせているから出かけますが、後を頼みます。』と言って、rの裏口から出ていった。」というものである。この供述は、K供述のうち、3月12日朝の出勤状況や、KがQらとゴルフ旅行に行く予定であり、実際、午後1時ころに出掛けたとの点は裏付けている。しかしながら、同日午前中ずっと外出せず、支店内で執務していたとする点については、日常の業務の状況という事の性質上、数年後まで記憶に留められている事柄とは考えにくく、Fは、生の記億がある旨断言するものの、決済印の存在から推測してKが午前中在席していたと証言している可能性も否定し難いところである。そして、このことは、弁護人も指摘するように、Fが、一方で、本件登記の発覚の時期をゴルフ旅行の前であると思うなどと証言し、当時M信用金庫にとって最も重要で異例な出来事であったと考えられる事柄について、明らかに事実と反したり、曖昧な内容に止まる証言をしていることにも照らすと、一層その感を深める。したがって、F供述に直ちに左たんし難く、結局、このF供述をもってしても、3月12日午前中はrで執務していたとのK供述を裏付けているとはいえない。

さらに、甲44号証添付の預金取引明細表1により、Kが3月11日午前10時37分に航空券代金に相当する現金を引き出しているという事実が認められる点については、このことから直ちに、Kが、右同日中に甲を訪問したということにはつながらず、11日に現金を用意して翌12日に訪問したとの可能性を否定し尽くせるものではない。また、甲44号証添付の支払伝票2通により、Kが3月12日午前10時6分にrにおいて支払伝票に決済印を押捺したという事実が認められる点についても、前示のとおり、同支店から甲までの所用時問等からすれば、Kが12日に甲を訪問することが全く不可能であったといえないことも前示のとおりである。したがって、これらの証拠をもってしても、K供述を裏付けているとはいえない。

四 小括

以上の検討によれば、Kが甲を訪れた日にちについては、K供述やそれを裏付ける証拠が存在するものの、その信用性には前述した疑問が残る。他方、被告人供述も、裏付証拠がある反面、信用性に疑いも残る。結局、両葦者の供述のいずれにも直ちには与みし難く、Kが甲を訪問した日が3月11日であったのか、3月12日であったのかは、本件全証拠によっても認定できないといわざるを得ない。

第五 40億円融資約束の有無

一 関係者の供述

被告人は、前記のとおり、40億円融資約束は間違いなく存在したものであり、本件2億円は、40億円融資約束の仲介手数料であったと主張するのに対し、A理事長、O信用組合理事兼総合企画部長D(以下「D部長」という。)及びO信用組合の関連ノンバンクであるO抵当証券社長E(以下「E杜長」という。)は、確かに20億円の融資は実行したが、40億円離資約束はなかった、本件2億円は、被告人が宮崎物件を落札することの証拠金として受領したにすぎない旨供述しており、真っ向から対立している。

二 A理事長等の供述の信用性

1 A理事長は、40億円融資約束の存在を否定し、被告人からの20億円融資申込みの経緯やO信用組合内での審査過程について、「平成4年秋ころ、鹿児島のg開発のPから、融資を希望するとともに宮崎物件を欲しいという者がいると紹介されて、大阪のqホテルで初めて被告人と会った。その際、宮崎物件売却に関する話は出たが、被告人から融資の申入れはなく、帰りの車中で、D部長に確認したところ、確かに貸してくれという話しがあった旨の答えを得た。その後、A理事長は、D部長から、正式に20億円融資の申込みがあると報告を受けたが、被告人から直接申込みを受けたことはない。O信用組含の支店から融資申込書が回ってきたので、平成4年12月にTホテルとTゴルフ場の担保実査をさせた。O信用組合の審査部は、融資に反対であったが、D部長が強硬に20億円の融資を主張していた。A理事長としては、融資に対して積極的でも、消極的でもなかった。A理事長は、審査会で一人でも反対があった場合は、融資を実行したことがない。理事長が直接担当する融資案件や審査会の前に理事長が実質的に決定してしまう融資案件というようなものは一切ない。」旨証言する。

2 そこで、まず第一に、A理事長供述の信用性を、被告人への20億円融資の実質的な決定者は誰か、理事長案件であったか否かという観点から、検討することとする。O信用組合の本店営業部次長兼貸付主管者であるVは、その捜査官に対する供述調書(甲21号証)において、「A理事長は非常にワンマンな人で、理事長がやれといった融資については、その時点で実行することが決定していた。理事長案件では、理事長がお前がやれといって、D部長かWが融資の窓口となっていた。被告人への融資約束は理事長案件であり、具体的にはD部長から下りてきた。」とA理事長供述と全く異なることを述べている。

また、A理事長は、前記のとおり、融資に消極的であった審査部長に対抗して、D部長が強硬に融資を主張した旨証言するが、D部長は、これを明確に否定し、担当者は自分であるが、本件はまさに理事長案件である旨Vと符合する供述をしている(第17回公判等)。すなわち、D部長は、「被告人からの融資の申込みはA理事長にあった。営業店から上がってきたものではない。この融資については、帝国データバンクの資料等から、被告人は、信用組合が相手にすべき人ではないんじゃないかということで、D部長は当初消極的であった。審査会の皆も消極的であった。後でA理事長から呼ばれて、君が反対しているようでは話が進まない、A理事長にはいろいろ考えとか思惑とかがあると言われ、D部長はその後説明役に徹した。審査会は再三理事長から招集があり、2月末の審査会で、皆ふらふらになり、Yから、まとめる形で、この案件は理事長に任せようということになった。Yはこの案件に最も反対しており、A理事長と事前に打ち合わせたようだ。」旨詳細に当時の状況を述べ、また、捜査段階の供述調書(甲19号証)では、理事長は、D部長に担当させながら、結局は自分で融資を決めていた、理事長は、h殖産の焦げ付き問題のほかに、丁観光のゴルフ場の肩代わり問題の解決で、被告人への融資を強く望んでいたなどと述べ、A理事長供述を全く否定している。

さらに、A理事長が被告人への融資と関連する宮崎物件に関し、「当初は任意売却であったにもかかわらず、後に競売手続を利用することに変更された事情について、所有者であるh殖産が逃げてしまったことや後順位抵当権者をてき徐して占有者を排除するため、O信用組合側で競落して、負担の無くなったものを買う旨被告人から申し込んできた。それをO信用組合側も了承した。そして、O信用組合側が一旦競落して被告人に渡すのでは、登記費用が二重にかかるので、O信用組合側が競売を申し立て、被告人が競落するということになった。最低競売価格と18億5000万円との差額はO信用組合側が別途もらえるように約束した。」旨具体的に説明を加えているのに比し、D部長やE杜長は、宮崎物件の競売について、断片的にしか供述しておらず、事情を把握していないことが窺える。

以上の諸点を鑑みると、被告人への20億円の融資は、理事長案件として、A理事長が実質的に決定したというべきところ、これを否定し、通常の案件のように、審査を経て20億円の融資を決定したと強弁するA理事長供述は、根本的な部分の信用性に問題があるといわざるを得ない。3第2に、被告人への20億円の融資を認めた経緯や融資額の決定を巡り、審査部等O信用組合内部での議論、担保物件の評価、融資限度額、20億円の融資を認めた動機などにっいて、A理事長は、第13回公判においては、「審査部は、担保物件の担保価値に基づいて、10億までしか出せないと言ってきたところ、D部長が20億を出すことを強行に要請してきた。」とか、宮崎の物件の処理に絡めて「こちらもお願いしなければいけないこともあるから、無理をしてでもしたいと言うので、本来ならば10億しかできないものを20億出した。」などと証言し、第15回公判においては、「審査部が反対した第一の原因は、当時O信用組合としても資金がひっ迫したから、新規の取引は大体10億くらいから始めようという、小口に分散化しようと、余り大口ではやるなといういろいろな指導があったから、審査部長としては、10億くらいに押さえたいという気持ちがあった。」「審査会のときには、みんなが担保価値が十分であると思ったから全部で承認した。」「審査部は、新規には10億しか出ていないというような観念があったから、10億と言ったのだろう。」などと述べている。また、弁護人から、前回の証言では、公定限度額があるから20億円以上の融資はできない旨を、検察官に対する供述調書では、公定限度額があるから融資自体断って、20億すら融資してないはずだとそれぞれ供述していないかと追及されて、A理事長は、「被告人に対して、融資限度額という話を持ち出したことはない。」などとも答えている(第15回公判)。さらに、第16回公判では、「担保の問題じゃなくて、なるべく少ない方がいいという内部の意見だった。」「宮崎の物件の処理が一番大きく、それに報いてくれるならば、ある程度は融資しようという気持ちはあった。」などと供述し、供述調書(甲18号証)においては、Tゴルフの担保価値に問題はないとしつつ、内部の自己規制として20億円と決めていたなどと融資限度額に言及している。一方、D部長は、審査会では、担保実査をしたZの評価どおり、担保価値はあったという評価だった、担保価値がないから10億だという審査部長の発言はなかった、審査会にぺ一パーを出したが、それによると、返済原資は、MOコースの会員権売却代金であり、それで、20億円はまず間違いないだろうということだったなどと述べている。

このように、融資自体や20億円という融資額が決定されるに至った経緯や動機についてのA理事長供述は、捜査段階の供述から公判供述に至るまで、担保価値が問題だったのか、融資限度額が問題だったのか、新規取引における内部的な慣例なるものが問題だったのか、被告人のO信用組合に対する見返りが問題だったのか、様々な事柄を二転三転させて述べ、かつ、その内容も暖昧で、関係者の供述とも齪齪を来している。一方、A理事長は、他の融資先に対する貸付けは100億円を超えているとも自認しており、D部長も、40億であっても2回に分けて貸すのはテクニックは必要だが可能であり、担保物件が変わって、別々の債務者なら発覚しないなどと証言しているのであるから、A理事長供述とO信用組合における融資の実状とが異なることが窺われる。

4 以上指摘したように、供述自体が変遷し、その内容も暖昧であり、関係者の供述とも異なる点を抱えるA理事長供述は全体として信用性に乏しいといわざるを得ない。

三 被告人供述の信用性

1 被告人の供述は、大阪府警から別件の参考人として取り調べられた段階から当公判廷におけるまで、検察官指摘の後記諸点を除き、ほぼ一貫しているばかりか、以下に指摘するような被告人供述に沿う事情も認められる。

(一)融資の動機

まず、D部長は、当公判廷において、「被告人のことは宮崎物件の問題を解決してくれる人として紹介された。被告人との交渉は、当初から、融資と宮崎物件売却の二本立てであった。被告人の信用調査の結果に基づき、信用組合が相手にする人ではないと磁資に消極的意見を述べたところ、A理事長から、君が反対しているようではこの話は進まない、私の思惑があるのだからと言われたが、それを聞いて、被告人に宮崎物件を競落してもらうこととゴルフ場を引き継いでもらうことの2つが思い当たった。融資審査会では融資の是非でもめたが、A理事長が宮崎物件の話題を出し、20億円融資することがh殖産の不良債権の処理につながるというようなニュアンスの話をした。結局、被告人から宮崎物件の競落確約書と本件2億円をもらうことの2点が融資の条件となり、その旨を被告人に伝えた。」などと述べ、供述調書においても、信用組合がつき合う相手ではないとA理事長に対し進言したが、A理事長は、h殖産の焦げ付き問題とゴルフ場肩代わり問題の解決で、被告人への融資を強く望んでいたと述べている。E社長も、当公判廷において、被告人との初対面の時から宮崎物件の話が出ていた、宮崎物件を競落するということは、一応了解していただいていたが、大きな取引で文書も何もなしで放置しておくのはおかしいじゃないかという指摘をA理事長から受けて、被告人から確約書を徴した、O抵当証券のh殖産に対する融資はO信用組合の紹介案件であったなどと述べている。そして、A理事長も、宮崎物件の競落が、被告人に対する融資の条件であったこと自体は自認している。以上の各供述からすれば、A理事長自身が、宮崎物件の競落を融資の重要な条件としていたと認めてよい。

次に、丁観光のゴルフ場経営について、E社長は、当公判廷において、「丁観光のゴルフ場事業は、A理事長が決断してゴルフ場事業を引き継ぎ、E杜長がA理事長の指示でその代表者に就任した。O信用組合から丁観光への投資額は合計70億円であり、そのうち迂回融資も15億円あった。A理事長はこのゴルフ場事業について困っており、引受手があれば譲ることを考えていた。A理事長から、被告人がゴルフ場を引き受けてくれるかもしれないということを聞いた。」と証言している。また、D部長も、当公判廷において、融資に関してA理事長から「思惑」があると言われたが、その「思惑」とは、被告人に宮崎物件を競落してもらうこととゴルフ場を引き継いでもらうことの2つが思い当たった旨述べた上、A理事長にとってはh殖産の件よりゴルフ場の問題の方が深刻であったなどとも言い、検察官に対する供述調書においても、A理事長は、h殖産の焦げ付きの問題のほかに、ゴルフ場の肩代わり問題の解決で、被告人への融資を強く望んでいたと述べ、この点に関する供述は一貫しているといってよい。A理事長自身も、被告人への融資と丁観光の件は無関係であると述べるものの、一方で、丁観光は多額の負債を抱えていた二と、大阪府から、ゴルフ場経営に関与しない方がいいなどと指摘を受けていたことを自認しているのであり、以上の各供述からすれば、A理事長が、丁観光のゴ1レフ場経営の肩代わり問題を抱え、その解決を被告人に期待していたと認めてよい。

以上の事実からすれば、A理事長には、被告人から協力を得ることによって、宮崎物件や丁観光のゴルフ場の問題など自己やO信用組合が抱える難問の解決を図ろうとしていたことが認められ、A理事長には、被告人に対して融資を実行する強い動機が認められる。

(二)理事長案件

D部長及びE杜長は、いずれも、40億円融資約束について聞いたことはないと一致して供述しており、一見すると、被告人供述を否定する証拠ともいえそうである。しかしながら、既に述べたとおり、O信用組合から被告人に対して実行された20億円の融資ですら、いわゆる理事長案件であって、A理事長自身が決定し、D部長らへ下ろしたものであるというのであるから、まして、(一)で述べたA理事長の利害の絡んだ極めて政策的な40億円離資の合意について、D部長らはA理事長から知らされていなかった可能性は少なくないというべきである。実際、D部長は、20億出してすぐにまた20億出すのは無理だったが、トップ同±の話は分からないと述べ、E杜長は、40億円融資の申込みの存在は、なかったということも言えないし、あったということも知らないと述べており、D部長供述とE社長供述は、40億円融資約束につき、被告人とA理事長との間で合意されたとする被告人僕述を否定し去る反対証拠というには足りない。

2 これに対して、検察官は、以下の諸点を挙げて、被告人供述の信用性を論難するので、以下、順次検討する。

(一) 検察官は、本件2億円が40億円の融資仲介手数料という名目の謝礼であるという被告人供述は、被告人が宮崎物件を確実に競落する旨を確約した証拠金である旨述べるA理事長らの供述に反しており、信用できないと主張する。そこで、A理事長の供述を子細にみてみると、その供述は、本件2億円の趣旨自体のみならず、決定時期、A理事長が本件2億円の話を知った時期等について、必ずしも明瞭なものではなく、却って不自然さや不合理さが目に付くものになっている。

(1) 第一に、本件2億円を被告人から受領することを決定した者やその時期等について、A理事長は、次のような変遷のある供述をしている。すなわち、第13回公判においては、2億円を取ることを発案したEが、1月ころ、Dとともに被告人と交渉して決定したのであり、自分は、後に被告人と会った際、宮崎物件を競落したら、払ってくれるのかと言いにいったとき、あかんかったら2億円もらってしまいますと念を押しただけである旨供述し、第15回公判では、本件2億円の話を最初に披告人にしたのは、Eであり、その時期は、確約書を作成した際と思うが、自分が直接要求したわけではないので、実情は知らないが、いずれにしろ、Eが、2億円もらうことになったから、間違いありませんと報告してきたと述べている。

また、A理事長が本件2億円の話を知った時期について、A理事長は、第!5回公判において、Eから、1月ころ、2億円の手付金を取っているから、被告人が、確実に18億5000万円で宮崎物件を購入してくれる旨の報告を受けた際、本件2億円の話を初めて聞いたと述べる一方、Eから、本件2億円の話を聞いたのは、宮崎物件について競売を申し立てた平成4年11月12日以降であったとも供述する。弁護人から、2億円の支払は3月19日であるから、それ以降ということになるが、それで良いのかと問われて、「Eは、何日に預かったとか、どういう形式で預かったとか、説明しなかったし、自分も聞かなかった。」などと支離滅裂な答えを繰り返した。むしろ、既に融資決定過程等において認定した事実に、本件2億円の発案者は、A理事長である旨のE社長の供述、本件融資の審査会で本件2億円を徴収することが決まった旨のD部長の供述を併せ考えると、被告人から本件2億円を徴収することを発案したのは、A理事長というべきである。

(2) 第2に、2億という金額が決定した根拠にっいて、A理事長は、18億5000万円の一割強ということで決まったというが(第13回公判)、D部長は、h殖産の延滞金利4億の半分ということで決まったと供述し、被告人にもこれを伝えたと供述している。

(3) 第三に、本件2億円と本件融資の関係について・A理事長は、第15回公判において、「2億の約束をした時期と20億円融資の実質的決定との先後関係は記憶にない。2億円は、被告人が宮崎の物件をほしいというから、それに対する証拠金としてもらったもので、融資とは関連がない。」旨答えていたが、弁護人から、Eは、捜査段階で、本件融資金20億の中から2億円払ってもらうという話があるのを聞いたと供述しており、そうだとすると、2億円の話は、20億融資が実質的に決定しないとあり得ないのではないかと追及されると、「自分としては、どういう手続だったか、2億円をどこからもらったか、融資の中から入ったとか何とかいうことの細かい手続のことはEと被告人の会社とでやってることだから、私は一切タッチしていない。」旨暖昧な供述に変更している。

(4) 第四に、2億円の具体的な扱い方法について、A理事長は、「被告人が落札したときは、18億に充当し、2億円を差し引いた残高16億5000万円を被告人から受領すればよい。」とか、r18億で売買してもらったら、被告人に2億円を返却する。」とか、「被告人が落札しなかったときは、O抵当証券がその2億円を受け取って、入札保証金として裁判所に納めることになる。」とか、「被告人が競落の約束に反した場合は、ペナルティーとして没収する。」とか、種々な供述をし、暖昧さを露見させている。もっとも、D部長は、「被告人が宮崎物件を競落すると、2億円はお返しすべきものであると思う。」「本件2億円の会計処理について、Eに確認したら、貸付金利息に入れたよと言われたので、会計上それでよいのかと申し入れたら、入れるところがないので仕方ないとの答えだった。自分としては、預かり金という形でフールされていると思っていた。」などと供述し、本件2億円について、競落の証拠金とするA理事長の供述の根幹部分を裏付けているが、E杜長は、r本件2億円について、O抵当証券でもらってもよいとの認識を有していた。」r2億円の領収書のただし書は、空欄であるが、競落の証拠金なのか性格が非常に暖昧で、ただし書には書けなかった。」r2億の実質は何か分からない。」などと述べ、むしろ、証拠金的な性質を否定する供述をしている。

(5) 最後に、本件2億円が融資の謝礼であるとの被告人側の主張にっいて、A理事長は、「O信用組合では、融資の謝礼は一切もらっていないし、融資の際にきちんと利息をもらっているので、本件2億円も融資の謝礼であろうはずがない。」旨断言していたが(第13回公判)、弁護人から、関係各書証を示され、A理事長は、O信用組合がiカントリーに対し、2億円を融資したのに関連して、7月30日、iカントリーからO信用組合の関連会社である丁観光に2000万円の融資手数料が支払われた事実を認めた。また、A理事長は、第15回公判において、O信用組合からj住宅建設協会に対する4億7000万の融資につき、関連会杜であるkビル、lビルが4000万円の融資斡旋手数料を取っている事実を自認したが、第16回公判冒頭において、受け取った時点では手数料を取ったことを知らなかったが、返せというから返したという報告を受けて知り、その金額が4000万円であったことも後で聞いた旨供述を後退させている。また、D部長及びE社長も、O信用組合からの融資に伴って、O信用組合の関連会杜が融資金の中から伸介料を取ったことがあることを認めている。そうすると、O信用組合では、離資の謝礼は一切取っていないから、本件2億円も、融資の謝礼等ではあり得ないとするA理事長の証言の根幹は崩れたというべきである。

以上指摘したとおり、本件2億円を巡るA理事長の供述は信用性に乏しいところ、本件2億円の性格について、D部長及びE杜長は、O低当証券は、A理事長の発案により、O信用組合に対する行政上の規制を免れるために設立された関連会社で、O抵当証券の融資は、その大部分がO信用組合から紹介を受けたものであったというところ、O抵当証券としても、本件2億円の授受当時、資金繰りは苦しく、本件2億円は、運転資金として、なけなしの金として使用し、有り難かった(E社長供述)とか、あるいは、予めA理事長と打ち合わせて、h殖産の延滞利息四億円の半額ということで被告人に話を持ち掛け、結果として、本件2億円を延滞利息に充てたことになった(D部長供述)とかいう認識を示しているのである。してみれば、本件2億円の授受が、A理事長の利害に沿うものであったことは否定し難いのであって、検察官主張のように、40億円融資約束の存在を述べる被告人供述の信用性を損なう事柄にはなりえず、むしろ、40億円融資約東の謝礼であるという被告人の主張もあながち排斥できない。

(二) 検察官は、20億円追加融資のための担保物件の事前調査もなされておらず、それを前提とする金融機関内部の審査手続も進行しておらず、融資の実行日も債務者となる会社も決定されておらず、融資関係書類も何ら作成されていないような状態では、到底、融資を受ける確実な見込みがあったとはいえないというべきであると主張する。

しかしながら、披告人は、40億円を2口に分けて融資するというA理事長とのトップ同士の約束を信じていたというのである。それを前提としてみてみれば、初回の20億円融資の実行の後も、A理事長らをMOコースに招いていることは担保物件を案内したものであると、また、ゴルフ場経営譲渡に関する覚書の作成やO信用組合の丁観光開発に対する迂回融資への協力を求められ、これに応じていることは、A理事長による約束の履行を期待して、その意向に沿う行動を採ったものであると解する余地は十分にあるといえる。そして、被告人への融資が理事長案件であったことなどO信用組合内部の事情からすれば、検察官指摘のとおり、O信用組合内部での正式な融資手続等が進んでいなかったとしても、A理事長との問で40億円融資約束があったとする被告人供述を排斥するには足りないといわざるを得ない。

その他、検察官が挙げる諸点を考慮しても、被告人の主張は全く信用できないとの検察官の主張には直ちに皇たんできない。

四 小括

以上検討したように、40億円融資約束の存在を否定するA理事長の供述は、全体的に信用性に疑いがある反面、その存在を主張する被告人供述は、それなりに裏付けのある一賢したものであることに加え、D部長やE社長が、被告人への融資は理事長案件であって、40億円融資の申込みの有無について、どちらとも断言できない旨述べていることなどをも併せ考えると、その主張を全く否定し去ることはできないというべきである。

第六 担保差し替え要請

一 両者の対立

被告人は、Kに対し、2月の末か3月の初めころ、40億円融資約束に基づく第1回分である20億円分の担保として、TホテルをO信用組合に提供したいので、Tホテルを担保から解放し、宮崎のゴルフ場予定地を代わりに差し入れる旨担保差し替えを頼んでいた、Kはこれに好意的であり、M信用金庫本店に話を上げた旨供述する。

これに対し、Kは、平成4年12月中旬ころと2月終わりか3月上旬ころの2回、被告人から、Tホテルを別な担保と差し替えてほしいとの依頼を受けた、その際、融資先や融資金額にっいてぱ具体的に聞かされなかった、M信用金庫の内部で、この要請に応じようとの話は一度も出なかった、KがO信用組合の名を聞いたのは本件登記が発覚した5月7日のことである旨供述する。

このように、両者の供述は、2月終わりころから3月上旬ころにかけて、被告人から、Kに対し、TホテルをM信用金庫の担保から解放するため、担保差し替え要請があった点においては一致しているが、この際に、被告人がO信用組合からの融資話について言及したか否かなどの点において、食い違いをみせている。

二 K供述の信用性

まず、便宜K供述の信用性から検討することとする。

1 まず、Bの後任者であるH理事長の供述調書添付のダイアリー(甲13号証、以下「Hダイアリー」という。)には・3月8日の欄にrU社担保差換え中止(1ヶ月なら待つ)」、3月11日の項に「K店長出張のこと。宮崎→担保差かえは必要ない」、3月12日の欄に「永一K店長出張取消→今后も審査管理と連絡密に」との記載がある。このHダイアリーは、これまで被告人に対して好意的であったBに代わって理事長に就任し、体制を厳しくしたH理事長が、日々の出来事について卓上の日めくりカレンダーにメモしていた事柄を翌日又は数日後にまとめて書き写したものであるから、信用性が高いといってよいところ、これらの記載からすれば、M信用金庫本部が、被告人からの担保差し替え要請に対して、一旦積極的な姿勢を示した上、これを止めたと考えるのが自然である。そうすると、M信用金庫内で、一度も担保差し替えに応じるとの話しは出なかったとするK供述には疑問が生じる。

2 次に、本件登記が発覚した後である5月18日、KがM信用金庫本店から命じられて書いた理事長宛顛末書には、「H4・9・30の返済約定日を過ぎた段階でU社に対し回収を迫りました所現在O信用組合乙ファイナンス等の他行にて融資を申請中で有りもう少し時間がほしいと言う事でした。それでは約定日が過ぎているので設定用意から担保設定すると話しを持出しますと他行との申込を有利に進めて行く上でもうしばらく設定を見合せてくれと言う回答でした。」との記載があって、Kが、平成4年9月30日の返済約定日を過ぎた段階から、既に、O信用組合との問での融資交渉を知っていたことを自認する内容となっている。

このような内容の顛末書を作成した理由について、Kは、第4回公判では、[1]「O信用組合云々」という記載はCが理事長を勤める丙信用組合という意味であって、Cから融資を受けるという話ではなく、被告人がCに対して有する貸し金を回収してM信用金庫への返済に充てるという話である、[2]M信用金庫への返済原資については、ありとあらゆる話が出ていたが、具体的にはCさんしか記憶がない、[3]この顛末書は、本店に呼ばれて、文書で出せということで、その場で急いで文書を作った、随分気が動転していて、大筋としては問違っていないが、真意と違うところもある旨説明していた。ところが、第20回公判では、なぜ顛末書にO信用組合を例に挙げたのか問われて、結局、本件登記が問題になった後に記載したものなので、「O信用組合」のことが頭にあって、その名前を記載してしまったが、実際に、O信用組合から融資中だという話を聞き、記憶として残っていて記載したわけではない旨答えて、前記「O信用組合」との記載はO信用組合を意味すると証言を変えた。このように、顛末書の前記の記載の意味を説明しようとするK証言は、それ自体前後矛盾し、その内容も暖昧なものに終始しており、到底信用できない。

3 さらに、Kは、被告人から、担保差し替えの要請を受けた際、具体的な融資先等を聞かされたか否か覚えていないとか、被告人は差し替えの理由を言わなかったとか、Kからも被告人に対して具体的に問わなかったとか述べてもいるが、lO億円という巨額の返済が滞っている債務者から、担保差し替えを依頼された信用金庫職員として、このような態度に終始していたということ自体、不自然である。

4 最後に、そもそも、Kは、M信用金庫への返済原資について、第2回公判では、丙信用組合のCに対して有する被告人の貸金を回収して返済に充てるという話が一番確実性があると聞いていたと述べていた。次に、第4回公判では、被告人は、m銀行とかn銀行とかとも取引していたので、いろいろ話はしているよということだったが、具体的に進んでいるという話は記憶がない、具体的に覚えていないが、なんか名前は出てきたとも証言している。さらに、第20回公判においては、被告人のメインバンクの中で、m銀行とn銀行の2つの中でどちらかが応援してくれると理解していたとか、後で述べる顛末書を記載した際には、Kの頭の中で乙ファイナンスの話が大きい力があって、結果的にn銀行なんかはもう出ないなと考えたとか述べている。このように、貸付担当者のKとしては、最大の関心事と考えられる返済原資についての証言が変遷していることは、納得し難いといわざるを得ない。

三 被告人供述の信用性

これに対し、被告人の前記供述は、HダイアリーやK作成の顛末書の記載内容等とも矛盾せず、O信用組合からの融資の交渉経過に照らし、内容も一応合理的である。

検察官は、被告人が捜査段階において、Kに担保差し替えの依頼をしていたことを供述していなかったのに、公判廷において供述し始めたことは不自然であると主張して、被告人供述の信用性を論難するが、被告人の主張は、一貫して、3月12日Kから、本件承諾を得たというものであるところ、後述のとおり、本件承諾は、Kに対して従前申し入れていた担保差し替えの依頼とは別物であると認められるから、担保差し替えの依頼をしていたことを捜査段階では忘れていたという被告人の弁解も不自然とばかりは言い切れない上、そもそも、2月下旬から3月上旬に、担保差し替えの依頼がなされたことは、Hダイアリー等から認められる事実なのであるから、被告人が捜査段階においてこれを供述していなかったことが、直ちに被告人供述の信用性を左右する事情とはいい難い。したがって、被告人の弁解は首尾一貫しないとか、作り上げた話であって措信できないなどという検察官の主張は採用できない。

四 小括

以上の検討により、Kの前記供述は信用できず、2月の末か3月の初めころ、初回融資である20億円分の担保として、TホテルをO信用組合に提供したいので、Tホテルにつき担保差し替えを頼んでいた旨の被告人供述は信用できる。

第七 本件カラ送り

一 両者の対立

Kは、5月11日午前10時30分から午前11時までの間に、甲の杜員Lから、r前まで呼び出された上、本店の甲の当座預金口座に振り込むよう指示されて現金5600万円在中の紙袋を渡され、それを携えてr内に戻り、Nに対してはその現金を預け、Fに対しては電信振込依頼書を記載させて送金手続を行ったなどと供述し、本件カラ送りの事実を否定する。また、Fは、Kの指示を受けて、本店にある甲の口座に5600万円を振り込む旨の電信振込依頼書を記載し、現金の存在、金種についてはNに口頭で確認した旨、Nは、同日午前11時ころ、支店長から現金を預かって数えたところ、1000万円の束が5個と100万円の束が6個あった旨それぞれ証言し、Kの供述を裏付けている。

これに対し、被告人は、5600万円の送金について、Kに対し、同日午後3時までに現金を持ち込むとの約東の下に、同日午前11時までに本店宛にrから5600万円の振込手続をしてくれるように依頼し、了承を得た、Kは、Fに対し、甲の社長室から、電話で、M信用金庫本店の甲名義の当座預金口座に振込手続を取るよう指示した、同日午後2時前、b開発から、c銀行東京支店の被告人名義の口座に9000万円が振り込まれ、被告人;ま、Kとともにc銀行東京支店に赴き、5600万円を払い戻して、車でrに向かい、Kにおいて、同日午後3時までに現金5600万円を支店に持ち込んだ旨供述するので、本件カラ送りの有無について、検討する。

二 K供述等の信用性

1 まず、5月11日午前11時前に現金5600万円が実漂に持ち込まれた旨のK供述自体をみてみると、Kは、当初、「それで、車に入りますと、Lさんの方から、急いで二こに現金があるので送金をかけてくれということで、送金の依頼を車の中で受けました。そのときに袋に5600万円の現金が1000万の束で5個、1OO万円の束で6個、紙袋に入っていたと思います。」、現金在中の紙袋の大きさを問われて、「大きさは縦で5,60センチ、横で40センチくらいで、よく上にビニールのかかっているしっかりした買物袋というんですか、普通の文房具屋二元っている150円か200円しているしっかりした袋だったと思います、そこに現金が剥き出しで入っていたと思います。」(第2回公判)などと具体的かつ断定的に証言したり、送金手続をFに指示した後、本件借入れの返済遅延について、自分の気持ちをLにぶつけたかったため、自らは、支店前にいたLの元に戻ったなどという特徴的な事実と結び付けて証言していた。

しかしながら、Kは、一方で、「Lさんに外に来て何か頼まれたのはこの件だったのかなということで、自分としてはこれ自身特に今回お調べになるまでは記憶の中にはありませんでした。」(第2回公判)とか、「私は、正直な話、記憶がないんです。はっきり、これどうしてお金が入ってきたという。現実には、永福自身は何も事件性がないんですよ。正常に取引がその日終わっているんですね。」(第19回公判)などと全く生の記憶がない旨述べたかと思うと、「Lが一回車で、数年前のことですので、店長、店長ちょっと出てきてということで呼ばれた、何かあったなというのが自分でありました。」(第2回公判)、rこれがLさんだということは自分でも言い切ることは、自信がないんですけども、ただいろんな周りの話からそのときに来たお使いの社員は、Lさんじゃないかなと自分で思うだけで」(第2回公判)などと述べたり、さらに、「Lさんがあわてて来て、車の中で、袋で、至急本店の方に入れてくれということは記憶にあります。」(第19回公判)などとも証言しており、果たして生の記憶があるのか否か、あるとしても、その記憶のある範囲についての証言は一定していない。また、振込手数料が未収である二とを誰からどのようにして指摘されたかについても、第2回公判では、rを出る前にNから指摘されたと証言していたところ、第4回公判において、弁護人から、検察官に対する供述調書では、Nから甲にいたKに対して、手数料が入っていない旨の電話連絡があったと供述しているのではないかと問われ、被告人に個人的に貸与した1000万円の現金の用意をNに頼んだ電話の際に、Nから指摘されたと変更し、さらに、弁護人から、それぞれの段階の供述内容が食い違っているのではないかと追及されて、結局、自信がないとの証言に後退している。

2 次に、Nの供述についてみるに、そもそも、Nは、当初警察官から事情聴取を受けた際には、5600万円が現金で入ったのか否か、すぐには記憶喚起できなかったところ、警察官から、年月日を特定して伝票のコピーを見せられ、出納判の意味とか字体の説明をしたが、現金の存在そのものについては、「金額が大きいと次の日に本部のほうに送金するんです。そのときに使わない大きな金額は本部に送金しなければいけないんです。それを警察の人に言ったら、次の日の伝票を持ってきていただいて、結構大きい金額が本部の方に返してあったので、現金だったんだと思いました。」と証言しており、これらの伝票の存在から現金があったとの結論を導き出していることが窺われ、果たして、これらの伝票類の存在と離れて、5月11日に現金5600万円が存在したとの本来の記億を有していたかどうか疑問である。また、Nは、5600万円の現金は存在したと明確に証言する一方で、関連する周辺事項、たとえば、振込手数料の未収に関しては、手数料欄に何も記載がなかったが、店長判断か何かでいいのかなと思い、何も言わなかった旨証言したり、手数料がないのに気付かなかったかもしれない、次の日に伝票が廻って気付いたと思うなどと証言したりして、同証人の証言自体に動揺があるばかりか、Nから手数料について指摘され、手数料の伝票だけ保留にさせたとするF証言や、Nから振込手数料をもらっていないことを指摘されたなどとするK証言と食い違いをみせており、その記憶の正確性には問題があるといわざるを得ない。

さらに、F証言については、前記のとおり、5600万円の現金の存在にっいては、自身で確認したものではなく、Nから確認したというのであるから、N供述の信用性に疑問がある以上、F証言の信用性も揺らがざるを得ない。

3 ところで、K供述やF証言等の信用性を、店頭返還呈示の手続との関係で検討してみることにする。まず、検察官事務作成の報告書(甲49号証)添付資料2の為替発信票の写しによれば、5600万円送金のrからの発信時刻は、5月11日午前11時26分であることが認められる。次に、M信用金庫本店勤務の証人Zの証言等関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。5月10日、甲振出しで、支払期日を同日、支払場所を本店とする額面1億円の約東手形がM信用金庫本店に取立てに回ってきたが、甲の当座預金口座には決裁資金が不足しており、本店では店頭返還呈示と呼ばれている方法、すなわち、支払期日に手形の決裁資金が足りない場合、当日の午後3時に手形交換所を通じて不渡りとせず、翌営業日の午前11時に手形の持ち出し銀行の店頭に直接赴いて返還するまで猶予する方法を採った。翌営業日である5月11日、当時本店に預金の責任者として勤めていたZは、右手形の持出し銀行であったO銀行東京支店に出向き、店頭返還呈示のため待機した。Zは、タイムリミットである午前11時を経過して午前11時26分まで同人の一存で店頭返還呈示を待つことはなく、午前11時を経過すれば返還呈示することになるから、午前11時問際に本店から店頭返還呈示を中止せよとの指示を得たと思っていた。また、その指示の前提として、本店とrの役席なり店長との問で午前11時までに現金が入ったとの確認が取れたとも思っていた。

以上の事実を前提として考えてみると、5600万円入金の発信が店頭返還呈示のタイムリミットである午前11時を経過した後である以上、現金が存在していたにせよ、カラ送りだったにせよ、午前11時前には、入金の連絡が本店とrとの問で何らかの形で行われているはずであると考えられるのに、Kは、r本店の方からどうのこうのということは全然記憶しておりません。」(第19回公判)とか、「自分で連絡した覚えはない、Fらに本店への連絡を指示した覚えはない。」r本店の役席からrの預金の役席に連絡があったかどうか全く覚えていない。」(第20回公判)と述べる一方で、「rに5600万円を入金して本店に送るということを本店がキャッチして、rにそういう事実があるかどうか、お互いに問い合わせて、私どもではまだ預かっていないとか、まだ来ていないということがあって、私の記憶では11時前に5600万円が持ち込まれたので、私どもの担当が至急現金を確認して、本店にeさんから5600万円預かりましたということを連絡したと思います。」(第21回公判)と証言したり、「私はこの日に特別に何かが起きたという記憶はないんです。周りの話から、こんな出来事があったのかということを自分で考えているだけで、この日は特別変わったことは起きていないと思います。」「私としては、このときに事件に、不渡りになっているとか、特殊なことが起きていれば、記憶があると思うんです。」「10億の二重抵当が発覚して、数日後に本店で不渡りにするかどうかの判断をしているときに、なぜ私が本店の不渡りを止めなければいけないんだと。」(第21回公判)などとも述べており、その供述は変遷し、かつ、趣旨不明の部分や前後矛盾する部分もある。また、Fも連絡の有無について証言していない。このように、客観的状況からは否定しようのない連絡の事実を供述できなかったり、前後矛盾することしか述べられないK証言等は不自然であるといわざるを得ず、このような不自然さを抱えたK供述等を直ちに採用することはできない。

三 被告人供述の信用性

1 Lの供述調書添付の払戻請求書2通によれぱ、5月11日、c銀行東京支店の被告人口座から、5600万円及び3400万円が引き下ろされている事実が認められる。この点について、被告人は、調査した結果、b開発から同支店に9000万円の金が振り込まれたのは午後2時少し前であり、被告人はKらを伴い、着信の時刻を見計らって同支店に車で赴き、M信用金庫に持ち込むべき5600万円と他の金融機関に持ち込むべきその余の金員とを下ろし、その足で直ちにrに5600万円を届けた旨供述しており、右2通の払戻請求書はこの被告人供述を裏付けている。そうであるとすれば、同日午前中に、既に5600万円の現金が準備できていたのであれば、何故、同日午後、被告人がc銀行から5600万円を下ろし、それをrに届けたのか説明し難く、反対に、午前中にカラ送りが行われたとする方が、この事態を説明しやすい。

2 また、被告人の供述調書(乙2号証)添付資料42の甲の帳簿をみると、5月11日の欄に、Kから5600万円を仮受けし、同日返還した旨の記載がある。仮に、Kらが証言するように、午前11時までに現金5600万円の準備が問に合っていたのであれば、わざわざこのような記帳をする理由が考えにくい。被告人が供述するように、Kに、カラ送りを実行してもらったとした方が、この記帳と矛盾しない。

3 さらに、Kらが供述していないM信用金庫本店とr問の入金の連絡に関しては、被告人供述によれば、Kは、午前11時前にFに電話連絡し、送金を指示するとともに、「本店の方にも送るということを先に電話で入れておきなさいと言っていました。」というのであって、これはZ証言から認められる店頭返還呈示中止の状況と矛盾しない。4このようにみてくると、K証言等に比し、被告人供述の方が、客観的証拠や証拠上認められる客観的状況に沿っており、より信憑性があるといわざるを得ない。

これに対し、検察官は、5月11日午前中に現金5600万円が準備でき、これを実際にrからM信用金庫本店宛振込み送金したと主張するが、その現金の出所を立証できないし、店頭返還呈示の時問が追っていた段階で、何故、甲(新宿区市谷)からより近距離にあるM信用金庫本店(新宿区北新宿)に直接持ち込まずに、わざわざ、rに持ち込んだのかの説明もし切れていない。また、検察官は、被告人供述は、K,F,Nの各証言、Lの供述にも反しており、信用できないと主張するが、K証言、N証言、F証言の信用性にそれぞれ疑問があることは前述したとおりであるし、Lの供述との齪齢についても、直ちに被告人供述の信用性を左右させる事情とはいい難い。

四 小括

以上を要するに、5600万円の送金については、K証言等は存在するものの、その信用性には前記のような様々な疑問があるので、直ちに採用することができず、他方、被告人供述は一貫しており、裏付証拠もあるから、被告人が述べるとおり、本件カラ送りの事実はあったといわざるを得ないのである。

第八 両者の癒着

一 関係証拠及びKが自認しているところによれば、Kは、江古田支店に支店長として勤務していた当時、被告人の依頼に応じ、億単位でかつ連日のように、他の顧客に比し突出した規模で、普通預金に入金された他店券小切手が決済になる前に払い戻しに応じる'未決済小切手による簿外の不正融資」とも称すべき取引に応じていたことが認められる。

二 また、関係証拠によれば、Kは、被告人に対し、平成3年8月30日以降個人的に金銭を貸し付けており、その額は、少なくとも合計2慮円以上に上っている。しかも、K供述によると、本件登記が発覚した数日後に、本件カラ送りをしてまで、私が何故不渡りを止めなければならないのかと述べる」方で、5月11日本件カラ送りに応じた当日の午後にも、!000万円の個人的貸付に応じているのである。

三 さらに、Kは、江古田支店長時代、披告人に不良債権の返済を肩代わりしてもらったり、被告人から、株取引の情報を教示してもらって相当な金銭を得た事実なども認められる。四以上検討してきたように、Kと被告人は、Kの江古田支店長時代から、公私にわたり、痔ちつ持たれつの深い癒着関係にあったというべきである。

第九 両者を巡る3月12日当時の情勢

本件承諾の有無を結論付ける前提として、3月12日前後の両者を巡る状況を認定しておくこととする。

一 被告人を巡る情勢

被告人が、従前から、Kに対して、O信用組合に融資を申し入れている旨告げ、その担保として使うためにTホテルにつき担保差し替えを依頼していた事実が認められることは前述したとおりであるが、被告人供述によれば、3月11日、突然、20億円磁資のための関係書類を同月15日までに取り揃えて、O信用組合に持参するようにとのファックスが届き、急きょTホテルなど担保物件の登記関係書類を整えなければならない状況に陥った、そこで、翌12日Kに、事情を告げてTホテルの権利証の返却を求めたところ、予想に反して、Kがこれを渋ったため、15日に問に合わせるため、保証書で登記する方法を考え、K及びO信用組合側の了解を得たというのである。この供述は、3月11日14時46分にO信用組合から甲に着信したファックス(乙2号証添付資料17)の存在及び3月15日被告人がO信用組合に赴き融資手続をしていること、O信用組合側が指定した司法書士により保証書が作成されていること等が認められることにより裏付けられている。したがって、被告人が、初めての取引先であるO信用組合に対して、指定された3月15日という期日までに書類を整えたいと強く希望し、従前Kを通じてM信用金庫に申し入れていた担保差し替えの返答を待っていたのでは最早問に合わなくなり、これに代えて、急きょ、Kから、TホテルにO信用組合の第一順位の根抵当権を設定登記してもよい旨の本件承諾を得る必要が生じたとの弁解に沿う情勢にあったことが認められる。

二 Kを巡る情勢関係証拠によれば、被告人に好意的であったBが1月に退任して、H理事長が就任し、それに伴って、これまでのルーズな取り扱いが改められて、管理体制が厳しくなったこと、折から行われた大蔵省の検査において、本件借入れについても事情聴取があったこと、Kは、新体制となったM信用金庫本店から、被告人との交渉に関し、単独で動くなと釘を刺された上、同年3月上旬には、文書で報告するよう指示され、実際、延滞債権管理カードの記載が3月16日の記事を最初として始められていることなどが認められる。これらの事実に、K自身、当公判廷において、本件承諾があったという3月12日当時、頼りにしていたBが既に退任してしまい、M信用金庫の中での自分の立場がきつくなったとか、誰も自分の立場を分かってくれないとか心情を吐露していることを併せ考えると、Kが、3月12日当時、本件借入れの返済にっいて窮地に追い込まれていたことを窺わせるに十分である。

しかも、関係証拠によれば、被告人から従前申し込まれていた担保差し替えの要請について、M信用金庫本店が一旦は積極方向に動いたと認められることは前述したとおりであり、かつ、Kが担保差し替えの植絶を正式に被告人に伝えたのが3月16日である旨の供述に照らすと、3月12日当時、KはTホテルにつき、いずれは担保差し替えになるかもしれないとの予想を有していた可能性も否定し切れない。

このようなKを巡る情勢は、Kが本件承諾を与える動機、背景となり得る事情であるといってよい。

三 Kの考え方等

さらに、Kは、当公判廷において、「私どもが預かっている担保が、被告人が他行で借りる場合に必要だなという認識をしておりました。」(第2回公判)とか、「とにかくどういう形でもご返済はいただけないかと、今お話ししましたケースとして、Oの二重抵当になるわけですから、一応そういう一つの返済方法も私の中では考えておりましたし。」(第21回公判)などとも述べて、被告人がTホテルを利用して他の金融機関から融資を受け、M信用金庫への返済に充てるという方法について、K自身認識を有していたとも受け取れる発言をしている。また、Kは、「保全よりも返済優先」とも明確に述べている。他方、M信用金庫本店も、本件後の平成6年1月28日、被告人に対し、1億円の新たな融資を行い、その際、担保権にっいては設定用意としており、H理事長が、供述調書において、融資を拒絶することによって、被告人を倒産させて、融資金の回収が不可能になれぱ、M信用金庫も経営が危ぶまれるなどとして、今後の債権の回収と保全を最重点に考えた結果、M信用金庫の利益を考えて、経営判断から仕方なく行った融資であったと説明していることからすると、被告人とM信用金庫との強い結び付きも窺われるのである。

このようなKの本件借入れの返済に対する強い期待やM信用金庫と被告人との関係の深さは、本件承諾に結び付きやすい事情と評し得る。

第一○ 総括

一 最終論点本件争点の項で述べたように、披告人は、3月12日に、Kから本件承諾を得た旨主張するのに対し、Kは、本件承諾を絶対にしていないし、3月12日には、被告人に会ってもいないと一貫して供述しているところ、いずれの主張が正当か否かが本件の最終論点である。

二 検討すべき問接事実この両者の供述の信用性を判断するため、様々な問接事実を項目に分けて検討してきたが、ここでは、最終判断に当たり、各項目の結論部分を再度まとめて記載してみる。

1 第一に、Kの甲訪問日については、3月11日であり、3月12日には訪れていないとのK供述やそれを裏付ける客観的証拠も存在するものの、K供述は、空港に出掛けた時間やチケットの種類等客観的証拠から認められる事実に反する部分やその内容自体不自然な部分がある上、後述する担保差し替え、本件カラ送り、被告人との癒着の程度等に関する供述の信用性の低さをも考慮すると、直ちに信用することができないといわざるを得ない。他方、被告人供述についても、それを裏付ける客観的証拠がある反面、訪問日を特定する重要な供述部分に変遷があり、その信用性に疑問が残る。したがって、当裁判所としては、両者いずれの供述にも直ちには左たんしがたく、Kの甲訪問日が3月11日か、12日か特定できないといわざるを得ない。

2 第2に、40億円融資約束の有無については、O信用組合側の中心人物で、最も事情に通じていると認められるA理事長の供述は、それ自体変遷し、その内容も暖昧であり、関係者の供述とも異なる点を多々抱えており、全体として信用性に乏しい。これに対し、40億円融資約束はあったと述べる被告人の供述は、ほぼ一貫している上、A理事長が被告人に対する融資を決定する動機を有していたこと、被告人への融資が理事長案件であって、被告人とA理事長との問で決定され、その他の者が知らなかった可能性も少なくないこと、本件2億円の授受が40億円融資約東の謝礼であるという被告人供述を排斥し切れないことなど複数の点で、被告人供述を裏付ける事情が認められるのである。したがって、40億円融資約束があったという被告人の供述を全く否定し去ることはできないというべきである。

3 第三に、担保差し替え要請についても、従前、O信用組合に対して融資を申し込んでいたと被告人から聞かされていなかったとのK供述は、当時の出来事をM信用金庫H理事長が書き記していたHダイアリーの記載と齪欝したり、上司の指示で、自身が書いた本件登記の顛末書に、O信用組合に対して融資を申請していたとの話を被告人から告げられていたと明らかに読める記載の趣旨を否定しようとしたりするなど、信用できないのに対し、被告人供述は、これらの客観的証拠に沿い、内容も一応含理的であって、信用でき、被告人は従前から、O信用組合に対し融資の申込みをしていた旨Kに告げていたと認められる。

4 第四に、本件カラ送りについては、これを否定するK供述やそれに沿うM信用金庫r関係者の供述が存在するものの、K供述は、変遷していたり、前後相矛盾し、客観的証拠から認められる送金手続に必然的に伴う事実が欠落するなど不自然さを有しているし、r関係者の供述は、果たして、生の記憶に基づく供述か否か疑問が残る等それぞれ信用性に問題を抱えている。他方、本件カラ送りの事実はあったと述べる被告人供述は一貫しており、当時の金の出入りを示す払戻請求書とか当時の被告人側の経理処理を示す帳簿の記載などといった客観的証拠や証拠上認められるカラ送りや店頭返還呈示の客観的状況に沿っている。したがって、K供述よりも被告人供述により信懸性があり、本件カラ送りの事実はあったというべきである。

5 第五に、Kと被告人との癒着については、Kは、江古田支店長として、被告人のために、金額及び頻度において他の顧客とは比べものにならない規模で、未決済小切手による簿外の不正融資を行い、また、個人的に被告人に多額の金銭を貸すなどの便宜を与えていた一方、被告人は、Kのために、Kが抱えていた不良債権の返済を肩代わりしてやったり、個人的にも株取引の情報を教示したりして利益を得させていたことが認められ、両者の問には従前から深い癒着関係があったことが認められる。

6 第六に、被告人及びKを巡る3月12日当時の情勢については、被告人側には、O信用組合からの融資を受けるため、急きょ本件承諾を得る必要性が生じたこと、K側にも、同人が、もともと、保全よりも返済優先として、担保物件を他の金融機関の担保に入れたとしても、返済さえしてくれればよいとの考え方の持ち主であった上に、M信用金庫内部で本件借入れの返済を巡り追いつめられた状況下にあったことなどの諸事情があり、被告人がKに対して本件承諾を求め、Kがこれを承諾する動機や背景の存在が認められる。

三 検察官の反論

1 検察官は、本件承諾を担保差し替えと同趣旨のものであるとの理解を前提として、「被告人が、一方で、担保差し替えを依頼しており、Kはこれを承諾したと主張しておきながら、3月15日にO信用組合に行くまでの問、V信用金庫から担保差し替えについての回答ぱなかった旨首尾一貫しない供述をしている。また、被告人は、3月11日、Kに対し、権利証が必要であることを伝えず、翌日同人が甲の事務所に来た際、初めてそれを告げたというが、担保差し替えの依頼について、M信用金庫側の返答が得られていない段階で、Kが、その場で権利証の交付について、承諾できるはずがなく、不自然である。」と指摘する。また、被告人は、本件後、M信用金庫に対し、別な担保物件の提供をしていないし、担保差し替えの手続が取られていないのは本件承諾の存在と矛盾するなどと主張する。確かに、被告人は、担保差し替えと本件承諾の話は、連動したものであるともいうが、一方で、5月11日に、20億円の融資のための関係書類を同月15日までに取り揃えて、持参するようにとのファックスが、O信用組合から、突然被告人の元に届き、急きょ担保解放に応じるようKに申し入れて、本件承諾を得たものであって、今回の話は、従来の担保差し替えの話とは別物であるとも供述しており、検察官の主張は、その前提において、的を射ていない。

2 検察官は、本件後も、被告人が5月7日付けで額面10億円の約束手形を振り出したことや、M信用金庫が担保設定のための印鑑登録証明書の差し替えを求め、被告人がこれに応じていることなどは、本件承諾があったことと矛盾する事実であると主張する。しかしながら、被告人は、まず、3月16日に、Kに対して、本件借入れの返済条件に関し、返済期限を4月末にしてほしいなどと申し入れ、M信用金庫本部の了解を得ているが、これは、A理事長との約束で、40億円融資のうち、後口20億円の融資の実行が会計年度を超えた4月になされることを期待していたことに基づくと考えられる。そして、4月末を超えても20億円の融資が実行されず、その結果、M信用金庫への返済もできなかったため、再度、返済のため、右約束手形を振り出したり、印鑑登録証明書の差し替えなどのM信用金庫側の要求に応じざるを得なかったとも考えられるのであり、本件承諾の存在と必ずしも矛盾するとはいえないものである。

四 最終結論

以上縷々検討してきたように、3月12日に本件承諾を得た旨の被告人の供述には、Kが甲を訪れた時刻の点で変遷しているという不自然な点があることは否めないものの、40億円融資約束や本件カラ送りの話など被告人供述に沿う点も多々あり、信用性がないと切り捨てることはできない反面、本件承諾はなかった旨主張するKは、O信用組合からの融資話、本件カラ送りなど重要な事項にっいて、到底信用できない供述を繰り返している上に、従前の被告人とKの癒着関係や3月12日前後の両者の情勢に照らすと、Kの供述に依拠して本件承諾がなかったと認定するには、合理的な疑いが残るというべきである。そうだとすると、結局、本件公訴事実について、犯罪の証明がないことに帰するから、刑訴法336条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとし・主文のとおり判決する。




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