裁判傍聴記・鹿児島地方裁判所における裁判員裁判第1号事件

南日本新聞朝刊(2009年11月25日〜27日)掲載



この記事について

南日本新聞社からの依頼で、鹿児島地方裁判所における最初の裁判員裁判の傍聴記を執筆しました。平成21(わ)第244号、鹿児島市内で起きた強盗致傷・銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件です。犯罪の成否に争いはなく、量刑のみが争点となりました。懲役7年の求刑に対して、懲役5年の刑が言い渡されました。事件および審理の具体的な内容については、南日本新聞「ニュース特集・裁判員制度」を参照のこと。


第1日目 (2009年11月24日 午後1時30分開廷 602号法廷)

従来との違い鮮明に

鹿児島における裁判員裁判が、初々しくも無事に離陸した。

冒頭陳述では、検察官も弁護人も証言台の近くへ出て、法壇に並ぶ裁判員の顔を1人ずつ見渡しながら、ゆったりと語りかけた。その内容も、自分が証明するストーリーを示したのち、あらためて、量刑判断で重視してほしい事実を列挙するなど、従来の刑事裁判とは比較にならないほど、双方の主張の違いがクリアに伝えられた。

双方がパソコンのプレゼンテーション・ソフトを活用したのも、わかりやすさにつながった。視覚に訴える陳述が過度になれば、それが「主張」なのか「証拠」なのか曖昧(あいまい)になる危険がある。しかし、今回の冒頭陳述は適切だった。

続いて、検察官が請求した証拠が取り調べられた。書証の取り調べにおいて、従来の刑事裁判では、法廷では書面の要旨が告知されるだけだった。しかし、今回の裁判員裁判では、被害者の調書や被告人の調書の内容が朗読された。真実は法廷において明らかにされるという、刑事裁判本来の姿が取り戻された。

もっとも、長時間の朗読に裁判員が耳を傾けて内容を消化し続ける負担は大きい。そのためか、2人の検察官は、書面の内容を読み上げる役と、立証趣旨を裁判員に説明する役を分担して、朗読が単調にならないよう工夫していた。また、裁判長は、取り調べる証拠の性質が変わるところで適宜休廷するなどの配慮をしていた。こうした工夫が、今後さらに模索されるであろう。

 (2009年11月25日付・南日本新聞朝刊)

 

第2日目(2009年11月25日 午前10時開廷 602号法廷)

被告の声求めた裁判員質問

2日目は、被告人質問から始まった。入念に準備した弁護人の質問は、テキパキと小気味よく進んだが、裁判長がこれを遮った。「(裁判員のために)テンポを落としてはどうか?」と。

裁判員は、被告人の顔をしっかり見つめて証言を聞いていた。ただ、被告人は、つい質問する弁護人や検察官のほうを見てしまい、裁判員には視線を向けないことが多かった。人の目を見て返事をすることは一般常識なので、やむをえない。

弁護人や検察官は、自分の席を立ち、裁判員のいる側に立って質問するなど、被告人の目線を裁判員に向ける工夫が必要かもしれない。

裁判官の質問に続き、1人の裁判員が質問をした。メモを見て落ち着いた口調で発した問いは、被告人と共犯者の責任の重さの違いや、更生の可能性など、この裁判の争点を正面からとらえるものだった。

裁判官の質問は、量刑事情となる具体的な事実を丁寧に確認するものだった。他方、裁判員の質問は、被告人自身がこの事件をどのようにとらえているのかを、自分の言葉で語らせるものだった。被告人の心からの声を聞きたいという真摯(しんし)な気持ちが伝わった。量刑事情を分析的に積み上げる法律家の思考との違いが垣間見えたとすれば、市民が参加する意義は、そこにあるのだろう。

論告・弁論も、従来とは一変して、簡潔明瞭(めいりょう)なプレゼンテーションとなった。弁護人がデータベースを利用して量刑相場を示したのも、新たな試みだ。ただ、相場が過度に重視されれば、市民が参加する意味はない。評議の結果に注目したい。

 (2009年11月26日付・南日本新聞朝刊)


第3日目(2009年11月26日 午後3時30分開廷 602号法廷)

儀式から語る場へ   真価、問題点これから

3日目。評議が長引いたため、30分遅れで開廷した。どんな議論をしたのだろうか。2日目までよりもフォーマルな服装を選んだ裁判員の姿から、裁くことの重みが伝わる。

裁判長は、文案を読み上げるのではなく、話し言葉で語り聞かせるように、判決を言い渡した。判決理由は、量刑のポイントだけを簡潔に示しており、そこからは評議の苦心はうかがえなかった。こうして、鹿児島地裁の一番長い日が終わった。

この事件では、共犯者から犯行を命じられた被告人が、それを断ることができなかったかどうかが争点となった。合理的な物の考え方をすれば、警察に駆け込むなり、逃げ出すなりして犯行を避けることは容易だ。しかし、人は常に合理的な判断をしながら生きているわけではない。

では、人はどんな状況があるときに、そのような不合理な行動をとってしまうのだろうか。まさに、市井に暮らす「普通の人たち」の経験と想像力を駆使して判断するのにふさわしいテーマだった。

刑事裁判の風景は、見事なまでに一変した。もちろん、法廷を取り囲むIT機器、被告人のネクタイ、奇妙なスリッパ、裁判員の入廷前に外される手錠…といった外形だけではない。検察官と弁護人の訴訟活動そのものが、大きく様変わりしたのである。液晶モニターを用いて視覚に訴えながら、要点を絞って簡潔に行われる冒頭陳述や弁論が象徴的だ。

単に法律知識がない人に理解してもらうためのテクニックが導入されただけではない。検察官や弁護人は、紙の上ではなく、法廷というリアルな空間の中で、人に向かって語りかけ、人の理解や共感を求めて活動することになった。つまり、法廷は、かつてのような儀式の場ではなく、豊かなコミュニケーションの場へと、その本質を大きく変ぼうさせたのである。

裁判員による被告人質問は、法律家と一般市民との視線の違いを浮かび上がらせ、裁判員制度の意義をうかがわせた。ただ、被告人質問や証人尋問は、検察官と弁護人による交互の尋問によって進行するのが本来であって、裁判官や裁判員からの質問は、あくまでも補充的なものである。裁判員が質問しなくても、それを批判的に見るべきではない。

今回は、被告人が罪を認めた事件であり、量刑上の争点もシンプルだった。しかし、被告人が無罪を求めて争う事件においてこそ、裁判員裁判の真価や問題点が問われる。

今回は被害者や被告人の調書が証拠として採用され、法廷で朗読された。しかしこれは、法廷で全文が朗読されるとはいえ、調書の内容によって判断されるという点で、実は従来の裁判と変わっていない。否認事件では、調書の利用はできるだけ控えて、本来の姿である証人の尋問を法廷で行うべきである。

複雑な否認事件において、裁判員の「わかりやすさ」や負担軽減を追求するあまりに、証拠の数を過度に減らしてしまい、プレゼンテーションの優劣で有罪・無罪が決まるような事態は、あってはならない。他方で、複雑な事件を審理する裁判員の負担を、社会はどう支えるのか。

裁判員裁判は、とりあえず離陸した。だが、実はこの先にこそ、難問が山積している。この制度を、わたしたちはどのように育てようか。もはや刑事裁判は「他人事」ではない。

 (2009年11月27日付・南日本新聞朝刊)

 


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