法情報論において身につける「自己表現力」とは何か
〜平成19年度の講義での取り組みから得られたもの〜

鹿児島大学現代GP「地域マスコミと連携した総合的キャリア教育」2007年度報告書 教育プログラム2「自己表現力をつける」6-13頁(2008年)


1.法情報論とは何か−自己表現との関連性−

「法情報論」は、鹿児島大学法文学部法政策学科が2年生以上を対象に、平成8年から継続的に開講されてきた専門科目である。「法情報論」あるいは「法情報学」と題する講義は、平成16年にスタートした法科大学院制度の発足に伴い、法情報検索を学ぶ科目がカリキュラムに必須とされたこと*1を受けて、全国の大学の法科大学院や法学部で一斉に開講されるようになったが*2、鹿児島大学法文学部法政策学科は、大阪大学や名古屋大学と並んで、このムーブメントに10年以上先駆けて科目を開設した「老舗」のひとつである。

ところで、多くの大学が「法情報論」「法情報学」と題する科目を開講している中で、その具体的な内容は、極めて多岐に渡っており、標準的な講義モデルが存在するとは言い難い状況にある。その最大の理由は、言うまでもなく、この分野の研究・教育の歴史が浅いことにある。また、「法情報論」「法情報学」という分野そのものが、@教育工学や情報工学の分野から、法学や法実務に有用な、法律家に特有の思考や実務スタイルを意識した情報処理システムの研究開発、A図書館情報学の分野から、法学や法実務において用いられる法令や判例などの情報を効率的に正しく用いるための知見の提供、B情報技術の発展と普及に伴って生じる新たな法律問題への対応の検討(サイバー法、情報法)などが複合的に流れ込みながら生成してきた経緯から*3、各大学のシラバスにおいて、いずれの側面が強調されるかは、そのカリキュラムの構造や担当教員の研究分野などによって必然的に差異が生じうるともいえよう。ただ、法実務家の養成を旨とする法科大学院が一連の流れを主導したことから、近時において開設された「法情報論」「法情報学」は、上記のうちAにあたる、法令や判例など法に関する情報(以下、これを法情報と呼ぶ)の効率的な検索技術の習得を中心するものとなりつつあるように思われる。

しかしながら、鹿児島大学法文学部法政策学科において開講されている「法情報論」は、法情報の検索スキルの習得には特に傾斜していない。(たとえば、リサーチの演習問題を解くような形で)単に法情報を検索して収集するだけでなく、具体的な事実に基づいた紛争事例を想定しつつ、そのようにして収集した情報を、実際の問題解決のためにどのように用いることができるのかを、情報技術を活用しながら体験的に学ばせている。言い古された感があるが「情報は集めるだけでは無意味」なのであり、集めた情報を分析して活用する場面まで、その全体に通じたスキルを身につけさせなければ、法情報を扱う専門的な技術を得たとは言い難い。そして、ここでいう法情報の「活用」とは、法学系の学科を卒業した者として法に関する実務(法曹実務に限定されず、企業法務や官公庁の業務などを広く含む)に携わることを念頭に置いた場合、単に「調べ物をしてレポートを書く」にとどまらず、具体的な紛争について法制度の枠組みを用いて有効な解決を引き出すことまでもが含まれる。したがって、「法情報論」の授業では、最終的に、検索によって得られた法情報の活用場面として、紛争の相手方との交渉や訴訟において、自分の利益となる主張を具体的な制度の枠組みに従う形で効果的にプレゼンテーションする技術の習得までもが含まれることになる*4。

鹿児島大学法文学部現代GP「地域マスコミと連携した総合的キャリア教育」プロジェクトにおいて、法政策学科の「法情報論」が自己表現科目の中に位置づけられたのは、以上のような背景によるものである。以下では、平成19年度における「法情報論」の取り組みを紹介し、平成18年度の報告書でまとめた改善点がどのように活かされたも踏まえつつ、自己表現科目としての意義に照らして達成しえた成果を明らかにしたい。

2.授業の紹介

(1)全体の流れ

この科目の基本的なコンセプトは、法情報の収集・分析・活用の方法を、法律家が具体的な事件を処理するプロセスを疑似体験しながら学んでいくものである。学生たちは、具体的な紛争の当事者と、バーチャルな法律事務所に所属する弁護士として向き合い、実際に発生したと仮定された事件を受任し、その解決のための活動を行う。15回の講義を通じて、初めてその事件を知るところから、最終的には訴訟での口頭弁論を経て判決を得るところまで、様々な活動を進めていくのである。

教員による講義は、各回の作業のポイントと法的な専門知識に関連する部分を若干示すに留まり、通常はもっぱら、学生たちの実習によって授業が進行していく。また、学生たちは、いくつかの班(=仮想法律事務所)に分かれてグループワークの形で実習を進めていく。

また、この科目は、名古屋大学法学部における「法情報学4」(松浦好治教授、角田篤泰教授、佐野智也講師) 、大阪大学法学部における「法情報学」(田中規久雄教授、養老真一教授)と統一シラバスで運用しており、鹿児島大学を加えた3大学が連携をとりながら共同で行っている。学生がグループワークを行う班は、他大学の学生を含んだメンバーで構成されており、インターネット上の様々なシステムを活用して相互に連絡を取り合いながら、共同作業を進める。また、定期的に各大学の教室をインターネット回線を通じたテレビ会議システムで結びながら、リアルタイムで合同授業を実施している。

以下では、授業の具体的な流れに沿って、平成19年度の内容を紹介していく。

(2)事件概要の提示

まず、第1回講義の冒頭で、15回の授業で解決していくべき事案が示される。ただし、法律家が事件に接するとき、最初からすべての事実関係が自らの目の前に明らかになっているわけではない。依頼者から得られる情報をきっかけとしながら、どのような法律論を展開できるかを検討する過程で、自ら事実を調査して明らかにしなければならない。したがって、この段階で学生に提示される事実は、事件がもたらされるきっかけとなる、断片的な情報に過ぎない。

【事件概要】
カール・マイヤー氏、1981年4月1日生まれのドイツ人男性であり、2003年に来日し、日本でコンピュータ関連の仕事をしている。山田洋子氏は、昭和37年7月4日生まれの日本人女性である。職業は、日本の語学学校のドイツ語の講師である。二人は、インターネットの交流サイトで知り合い、短期間の交際の後、同居し、平成17年3月3日名古屋千種区長に対して婚姻の届出をした。マイヤー氏の言い分によると、自分と付き合っていたとき、洋子は、「歳は26歳」で、「自分には、ドイツの血が混じっている」とか、「大学院卒の自分の関心は、ドイツロマン主義で、歴史法学とも関係のあるグリム童話を真剣に勉強している」とか「ドイツ人の祖父が日本に来て、日本人の女性と結婚して、私の母が生まれた」などの真実と違うことを言って、自分に結婚を申し込ませるようにしむけた。ところが、結婚してみると、彼女の年齢は、40歳台半ばを過ぎており、彼女にはまったくドイツの血が流れていないこともわかった。ドイツロマン主義の法学などには、まったく関心もみせない。よくよく考えてみると、自分はだまされて結婚したことに気がついた。そこで、結婚を取り消したい、慰謝料も求めたいという。

(3)事案の分析

自分たちが解決すべき事件の概要を知った学生は、この事案を法律家としてどのように解決すべきかを検討する作業に入る。しかし、この段階で直ちに法情報の調査を行っても、手がかりは乏しく、好ましい結果が得られるとは思われない。法律家はまず、この事案において当事者が具体的に何を求めているのか、実際にはどのような感情を持っているのか、また、社会的事実としての紛争の根底に、どのような事情があるのかを、可能な限り推測して、紛争のイメージを具体化しなければならない。実際の紛争は、実定法の講義科目における教室設例のように、すでに法律論にあてはめるべき事実が整序して記述されているわけではない。多様な社会的事実の中から法律論にあてはめるべき事実を発見して汲み取っていくプロセスが必要だからである。

そこで、学生には、自分のところに来た依頼者に気持ちになって、法律論として「何を請求できるか」ではなく、生の社会的事実の当事者として「誰に、どうしてほしいのか」を検討させた。

【学生Aのレポートより】
マイヤーさんが山田洋子に興味を持ったきっかけとして、彼女の年齢や彼女にドイツの血が流れていること、彼女がドイツロマン主義の法学を勉強していたことなどがあったのだと思う。二人はその後一緒に住み、お互いの内面を知ったうえで婚姻に至ったわけだから、彼女が自分の年齢などについて彼に嘘をついていたという理由だけで彼が彼女との離婚を考えるとは思わない。婚姻するまでずっと嘘をつき続けられていたことは彼にとってはかなりショックなことだったかもしれないが、嘘をついてまで彼と婚姻したかった彼女にはそれなりの理由や事情があったのかもしれない。嘘をつかれていたということで彼の彼女に対する気持ちがなくなってしまったなら仕方ないが、婚姻にまで至った相手なのだから彼は彼女の肩書きだけを見ていたとは考えない。彼はずっと自分に嘘をついていた彼女のことがわからなくなり、今後結婚生活を送っていくうえでどうしたらいいかわからなくなり、誰かに相談したかったのだと思う。だから、この事実だけを聞く限りでは彼は彼女の気持ちを知り、彼女と話し合い、今度どうしていくかを前向きに考えていくことを望んでいると考える。

(4)法情報調査

社会的事実としての事案を分析した結果を踏まえて、学生たちは、自分の依頼者たちが「法律論として」何を主張できるのかを検討する作業に入る。商用の法令・判例データベースであるLexisNexisJP*5や、図書館が所蔵する紙媒体の資料について、利用方法を講義したのち、学生たちが関連しそうな情報を収集し、のちの分析・活用に有利な形で電子情報化して保存・整理する。また、共同作業で分担して調査を行い、その結果をネットワークを通じて共有化する。

(5)事実の発見

依頼された事案の解決のために必要な法情報を集積したことによって、現時点で得られている事実関係だけでは、具体的な立論の手がかりとして不足していることに、学生は気づくこととなる。たとえば、判例の調査によって、詐欺のよる婚姻の取消しを認めるか否かについて、裁判所の判断の分かれ目となる事実が浮かび上がる。しかし、現時点ではその事実の有無が明らかではない。

実際の法律家であれば、不明な事実については、実際に事実調査を行い、証拠を収集する活動を行うこととなる。しかし、バーチャルな事案を扱うこの授業では、実際の証拠収集まで行うことは不可能である。そこで、事実調査については、Fact Findと名付けたシステムを用いることとした。学生は、知りたい事実について、@依頼者、A相手方、B第三者など相手方を指定して、一問一答式の質問をインターネット上に掲載する。これに対して、教員のうちの担当者1人(Fact Finderという)が、質問を受けた側になりきって、返答を返す。この返答は、質問者だけでなくすべての学生が共有し、証拠たる供述として、その後の事実を確定していくのである。効果的な立論をしていくためには、@法律論をあてはめる上で重要な事実が何かを適格に判断し、Aその事実を炙り出す的確な質問をFact Finderに投げかけることが必要となる(すなわち、コミュニケーション能力が問われ、鍛えられることになる)。

【Fact Findにおける質問と応答】
※効果的な質問の例
山田洋子に対する質問:「婚姻届も含めて、免許証などの身分証明書を見せて欲しいと求められたことはありますか?」 回答:「なかったと思います」
※非効果的な質問の例
カール・マイヤーに対する質問:「現在の仕事面における状況はどのようなものですか? 」回答:「状況って、具体的にどんなことを話せばいいですか?」

(6)法律構成

Fact Faindによって事実が明らかになったのを受けて、学生は、実際に訴訟を提起する場合の法律構成を練り上げる作業を行う。(3)の段階で行った社会的事実としての紛争当事者のニーズが、ここに至ってようやく、法律論としての「請求」へと形を変えて主張されることになる。学生は、紛争当事者の欲求を、法令や判例が規定する内容に即した形に適合させながら、自分の主張を展開することになる。

【学生Bの検討メモより】
マイヤー氏と山田氏が実際に会ったのは2005年12月3日である。山田氏は、自分は「歳は26歳」で、「自分には、ドイツの血が混じっている」とか、「大学院卒の自分の関心は、ドイツロマン主義で、歴史法学とも関係のあるグリム童話を真剣に勉強している」とか、「ドイツ人の祖父が日本に来て、日本人の女性と結婚して、私の母が生まれた」などの真実とは異なることを言って、マイヤー氏に結婚を申し込ませるようにしむけた。山田氏は友人に「鯖を読んでマイヤー氏と付き合っている」等の発言をしていたことから、以上の山田氏の行為には故意があると言え、民法96条の詐欺行為にあたる。第747条より、マイヤー氏は以上の詐欺行為をはたらいていた山田氏との婚姻を取り消すことができる。マイヤー氏は2005年9月20日に弁護士へ今回の事案についての依頼をし、2005年10月1日、訴状の提出に至った。マイヤー氏が山田氏の詐欺行為を発見してから訴状の提起まで3ヶ月を経過していないので婚姻の取り消しは可能である。

(7)訴状と答弁書の作成

次に、学生たちは、原告の訴訟代理人として、裁判所に提出する訴状を作成する。ここでは、できるだけ実際の民事訴訟において用いられるのと同様の書式に従った「本物」の作成を求めている。

この段階から、学生の班は、原告、被告それぞれの立場で、他の班と対戦することになる(たとえば、原告1班 vs. 被告6班、原告5班 vs. 被告3班…など。異なる班を対戦相手として、原告と被告の両方の立場を体験することになる)。作成した訴状は、対戦相手の被告に宛ててネット上で開示される。訴状を受け取った被告の班は、直ちに、訴状に応じる答弁書を作成する。民事訴訟における被告は、当初から自らの主張の正当性を立証する責任はないので、答弁書においては、原告の主張が正しくないことを示せば足りる。ディベートに共通する論争的なコミュニケーションのルールに沿った表現活動が求められることになる。

【学生Cによる訴状の抜粋】
3 法的主張
ア 被告による詐欺の根拠
(1)被告は両者が知り合ったインターネット上の交流サイトで実年齢と大きく異なる26歳と詐称していた。この証拠として甲1号証を提示する。被告は「自分にはドイツ人の血が混じっている」「ドイツロマン主義に関心があり,歴史法学とも関係のあるグリム童話を真剣に勉強している」と事実とは異なったことを書き込んでいる。これにつき被告はwikipediaでの知識程度で専門の学習を行っていない(証人被告および原告)。被告にドイツ人の血が流れていないことは明らかである(これについては争いがないと思われる)。被告は原告に実際会ってから実年齢を告げたと述べているが,原告はドイツ人であり,ドイツ語とは異なる数字の桁数を読むのに苦心するなど,日本語に習熟していないため,日本人の年齢区別に自信がない(証人原告)ことから被告は原告に実年齢他を正確に告げる必要があったが,これを怠っている。
(2)被告は知人Bに対し,原告が自分の年齢を間違って認識しているのでないかと漏らしていた。正しい年齢を告げれば別れを切り出されるのではという不安から,故意に原告に対して正しい年齢を言わなかったと思われる。被告は原告との婚姻に至るまでに実年齢を告げたと証言しているが,原告は日本語に不自由であることを踏まえれば,実年齢他について確実に告げる機会は多分にあったにも関わらず,告げていない。交際中も「直接会った後も,鯖を読んでいると聞いた」という証言から年齢を詐称していたと言える(証人被告の知人B)。また知人Bからは年齢の詐称につき真実を告げるべきだという旨の助言を受けている(証人被告の知人B)のにもかかわらず,その後も自らの口で原告の誤解を解こうとしなかった点に違法性がある。以上の詐欺により,原告は錯誤に陥り被告と婚姻する意思を持つに至った。(以下略)

(8)オンラインでのディベート

各班が原告としての訴状と被告としての答弁書を提出したのち、それらの書面に基づいて、実際の裁判と同様に、原告と被告の主張・立証活動を行う。インターネット上に設置した専用の論争システムを利用し、原告・被告それぞれが交互に、論点となる要件事実ごとに書き込みを繰り返す。ここでは、自らの主張を説得的に展開すると同時に、相手の主張について、@論理的な整合性を欠いていること、A証拠から事実を認定する過程が合理性を欠いていること、B証拠から得られる間接事実(情況証拠)から最終的に証明すべき事実を推認する過程に飛躍があることなどを指摘して、論争的なコミュニケーションの中で、自己の主張の正当性を表現しなければならない。

【論争掲示板での攻防の例】
証拠不十分 by 原告:(反論)
被告側は実際の年齢を原告側に告げたとしているが、それを裏付けるだけの証拠がない。
−原告側の立証責任 by 被告:(反論)
こちらに、原告が錯誤に陥ってなかったことの立証責任は無く、原告側に錯誤に基づく婚姻であったことの立証責任がある。こちらの証言の証明度が低かったとしても、それをもって錯誤に基づく婚姻の立証が十分になされたとはいえない。

ネット上の論争システムでのティベートは、原告・被告のやりとりを3回繰り返したところでそれぞれが最終弁論を行って結審される。裁判であれば、裁判所による判決へと進むところであるが、ここでは、同じシステムに装備された投票システムを利用し、他の班のディベートの様子を教員が指示する評価項目に沿って学生が相互に評価して、最も優れていた原告と被告の班を投票する。その結果、原告と被告それぞれ上位2組の班を選抜した。この合計4つの班が、全体の代表として、次に行うテレビ会議システムを用いた口頭弁論を実際に行うこととなる。

なお、投票のプロセスは、口頭弁論に進む班を決めるためだけでなく、すべての学生が他の班のディベートの様子を評価することによって、自分たちのディベートの様子を客観的に振り返って、改善すべきポイントを自ら見つけ出すことを意図した教育のプロセスでもあることに留意されたい。

(9)テレビ会議システムを利用した口頭弁論(ディベート)

授業の最終回に、テレビ会議システムで3つの大学を結んで、双方向同時中継によるディベートを行った。論争システムを使ったオンラインディベートと同様に、あらかじめ交わした訴状と答弁書の内容に即して、準備書面として提出済みの論点表に従ったディベートを行った。

ここでは、これまでの書面を通じた表現活動だけでなく、口頭でのプレゼンテーション能力が試されることになる。相手に向かって自分の出張をわかりやすく伝えるだけでなく、判断者である裁判官(あるいは、将来の刑事裁判においては、法律の素人によって構成される裁判員)に向けてわかりやすく、自分の主張の正当性を伝えなければならない。

平成18年度までは、時間制限を設けることになく、また、論点ごとに時間を区切らずに主張と反論を行っていた。しかし、今年度は、緊張感のある環境の下で、対立点が明確な「わかりやすい弁論」を行う必要があることを学生に意識させるために、争点表に記載した論点ごとにラウンドを区切って議論を行った。また、原告と被告それぞれに持ちタイムを設定し、打ち合わせや冗長な主張による時間の浪費と、それによって間延びした空気の中で弁論が行われることを防ぐこととした。

こうした工夫も功を奏し、当日は、極めて高度な議論が展開され、代表となった各班の学生たちは、論旨が明確な堂々とした口頭弁論を展開した。とりわけ、ひとつのラウンドにつき、ひとつの論点に限った攻防を展開する方法は、実体法が規定する要件事実のひとつひとつをクリアに意識させると同時に、民事訴訟の構造、とりわけ、弁論主義や立証責任の分配といった基本的なルールを強く意識した弁論を展開することができ、後述する「専門職に必要な自己表現」の技法を浮かび上がらせるうえで、大きな効果があった。

3.授業の成果

このようにして行われた平成19年度の「法情報論」では、自己表現との関連において、次のような教育効果を達成できたと考えている。

(1) 法律専門職としての自己表現

まず、この科目において達成すべき自己表現とは、単に自分の見解を相手に伝えるための表現活動ではなく、法律専門職に必要な技術としての自己表現であることを、学生に強く印象づけ、その基礎を習得させることができた。法実務においては、究極的には訴訟という手続きによって「(さしあたっての)正しい解決」の内容が示される。したがって、求める結論をただ説得的に語れるだけでは意味をなさず、民事訴訟法などが規定する訴訟手続きによる制約の下で、自己の見解を表現し、その正当性を示さなければならない。また、法律専門職のうち、とりわけ弁護士については、法廷において表現すべきなのは、第一次的には「自己の見解」そのものではなく、「自分の依頼者を有利に導く見解」である。同じ事案であっても、原告の代理人となるか、被告の代理人となるかによって、表現すべき内容は異なりうる。法律家の活動を疑似体験させる中で表現を訓練する機会を与えるこの科目によって、他の自己表現科目で訓練された表現技術を、法学の専門性・技術性に適合する形で発展させることができたと思われる。本報告で引用した学生のメモや文書が、プロセスが下るに従って順次、専門性の枠組みの中に落とし込まれていく様子にご注目いただけば、ご理解いただけるであろう。

(2) ITを活用した自己表現

この科目のもうひとつの特徴がITの活用である。ITの発達は、表現手段を多様でかつ効率的なものにしている。しかしながら、現時点において、学生がITを駆使した表現に十分親しんでいるかどうかは、疑わしいものがある。大学入学前から携帯電話のメール機能やブラウザ機能に親しんだ世代(iモード世代)であっても、そのツールを本格的な表現活動、とりわけ、学問的な表現に活用した経験は、必ずしも豊富ではない。とりわけ、この科目が扱う法学の分野は、社会科学における他分野(たとえば、経済学)と比較して、学修や研究でのITの活用については、後進的な位置にある。

この科目における自己表現のすべてが、PCとインターネットを活用して行われたことによって、ITを利用した表現技術を向上させるとともに、その限界や負の側面についても十分意識させることができた*6。

(3) 遠隔地を結んだグループワーク

最後に、この科目では、学生のグループワークが、遠隔地にいる他大学の学生を交えた形で行われた。このことは、自己表現力との関わりにおいても、大きな意味があったように思われる。それまでまったく見知る契機がなかった、空間や所属組織を異にする相手に対して、自己の見解をわかりやすく伝えることの難しさを、学生は痛感したようである。ITの発達によって、近くにいない相手に向けて自己の見解を伝えることが可能になった反面、目の前にいない相手に向けて意思を伝えるための特別な工夫*7の必要性について、学生は、実体験をもって学ぶことができた。

(5) 今後の課題

平成20年度に向けて、、この科目において強化すべきポイントとしては、口頭プレゼンテーションを日常的に訓練する機会を増加させることである。これは、平成18年度の報告書でも今後の課題として掲げていたが、十分に達成することができなかった。一方でITを活用した表現の訓練という課題があり、特に文章やインターネット上のシステムへの書き込みを通じた表現活動に多くの時間を確保する必要がある。15回の限られた授業時間の中で、その両方を完全に実現するのは大変難しいと言わざるをえない。ただ、近年、裁判の現場においては、特に刑事における裁判員制度の導入を契機として、これまでの書面主義から口頭主義へと審理のあり方が大きく転換していく兆しが見えつつある。そうだとすれば、法律専門職に必要な自己表現力を鍛えることを目的に掲げている以上、法廷での口頭によるプレゼンテーションのほうほ、この科目における力点の置き方を少し変化させる必要があるだろう。


脚注

*1中央教育審議会による「法科大学院の設置基準等について(答申)」(2003年8月5日付)など。
*2さらには、法学系の学部・学科のみならず、経済学・経営学系の学部・学科においても、実践的な法律学の学習機会を提供する科目として、広がりつつある。跡見学園女子大学マネジメント学部における「法情報学A」「法情報学B」、椙山女学園大学現代マネジメント学部における「法情報学」など。
*3法情報学を構成する要素を、ここに挙げたものに限定する趣旨ではない。特に、本稿の趣旨に照らしてここでは省略したが、@との関係において、認知科学との接点を意識した分析が重要である。田中規久雄「法情報学とは何か」(2003年) at < http://www.law.osaka-u.ac.jp/~kikuo/l-inf.html>(last visited Feb. 17,2008)。なお、大学における情報教育の実状との関係につき、門昇「法情報学の現状−情報教育との関連を中心に−」(1999年)at (last visited Feb. 17,2008)。
*4なお、前述@の、法律家の思考や実務のあり方に即した情報処理システムの開発も、「法情報論」の重要な要素である。本学の講義においては、名古屋大学において「法情報学」を担当する角田篤泰教授が開発する様々なツールを、授業内で活用することによって、あるべきシステムの姿について、学生も交えて議論を展開している。この側面については、自己表現科目の趣旨とは間接的にのみ関わるものであるため、ここでは言及しない。
*5鹿児島大学法学会の経済的支援により、すべての学生が自由に利用可能なIDとパスワードが与えられており、大学のほか、自宅のPCでも利用することができる恵まれた環境にある。
*6たとえば、様々な図を作成するとき、PCのソフトウェアでは完全に描ききれず、かえって非効率なこともある。また、無機的な電子媒体でのやりとりであるがゆえに、学生相互のコミュニケーションにおいて、真意が伝わりにくい場面がいくつかあったようである。
*7ネットワーク回線に音声を乗せるときは、通常よりもゆっくり話すようにすること。また、文字だけではニュアンスが伝わりにくいので、説明のための図表を多様することなど。




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