専門職に必要な自己表現力を鍛える−「法情報論」での取り組み−

鹿児島大学現代GP「地域マスコミと連携した総合的キャリア教育」2006年度報告書 教育プログラム2「自己表現力をつける」15-18頁(2007年)


1.はじめに

平成18年度の「法情報論」は、法政策学科の2年生と3年生、合計13名の学生が参加して行われた。法政策学科の専門科目でありながら、教室の雰囲気は、他の科目のそれとは、まったく異なっているといえるだろう。ある日の教室をのぞいてみれば、そこでは次のようなやりとりが行われている。まず講義の冒頭に、プロジェクタにPC画面を映し出しながら、担当教員がしゃべり出す。しかし、そこに映されているのは、その日の講義内容のレジュメや板書ではなく、前回学生に与えた課題について、各学生が提出した解答の文書である。たとえば、「自分が原告であれば、どのような訴状を作成するのか。」この課題に対して、学生は、すでに講義前に課題をオンラインで提出済みである。そこで、提出されたそれぞれの訴状に対して、どこを、どのように改善すべきだったかを、教員がコメントするのである。

これが終わると次に、今回の新たな課題と、その作業をすることの意義が解説される。たとえば、一度提出した訴状について、同じ班を構成する大阪大学の学生とやりとりをし、不備な点の穴埋めをする。あるいは、自分が出した訴状に対して、相手方の立場になり、仮に答弁書を作成してみるなど。教員からの留意点の説明が終わると、学生たちは一斉にPCを操作し、その日の課題を行うべく作業を開始する。教員は、教卓のモニタで、学生たちの個別作業を見守り、ときどき不備な点を発見すると、全体に向けてその指摘を行う。あとは個々の学生が黙々とPCに向かい、その日の作業をしているだけである。その様子は、講義というより漫画喫茶のそれに近いかもれない。

「法情報論」や「法情報学」などと称する科目が日本の法学教育の体系の中に登場して、まだ10余年しか経っていない。「法情報論」は、法学教育の世界における新参者というべきだろう。しかし、鹿児島大学法文学部では、この分野のいわば黎明期から科目を設置し、日本におけるこの分野の発展をリードしてきた実績がある。漫画喫茶と見間違うかのような授業風景も、実は、「法情報論」の先進地である鹿児島大学のメソッドが生み出した、先端的な授業風景なのである。しかし、この漫画喫茶のような静寂(キーボードを叩く音だけが響く)に包まれた教室の風景は、一見すると、およそ「自己表現」の訓練とはかけ離れた空間のようにも思えるだろう。なぜ、「法情報論」が自己表現科目たりうるのか。この報告によって、その点を明らかにしていきたい。

2.法律家に必要な自己表現力とは

まず、「法情報論」という科目の内容、意義について明らかにしておく必要があろう。もっともその大部分は、森春日報告によって紹介されているところであるから、ここでは簡潔に止めたい。「法情報論」では、大きく分けて、@法情報の収集、A法情報の整理と分析、B法情報の発信という3つのプロセスについて、そこで必要される技術を身につけることを目標としている。これらはいずれも、法律家(本稿でいう法律家は、いわゆる法曹三者に限定されるものではない)が具体的な問題を法律知識を用いることによって解決するうえで、必要不可欠なプロセスである。そこで、この講義では、それぞれのスキルを、学生が実際に法律家の1人として、具体的な事案(たとえば、ある民事紛争)を訴訟を通じて解決していくことをシミュレーションしながら身につけていく。関連する事実の洗い出し、法的主張の組み立て、必要な法令や判例の収集を行い、各班ごとに原告と被告に分かれて実際に訴状と答弁書を作成する。そのうえで両者のディベートを行い、最終的には勝敗の投票(裁判所による評議)まで行う。これによって、他の講義科目で教わる実定法の知識を、単に知識として覚えるだけでなく、生の社会的事実に適応し、実際の司法手続きを利用して解決していく道具として使いこなせるようにする、その礎を提供しているのである。

では、法律家に必要なこれらのスキルは、「自己表現」ととのように結びつくことになるのだろうか。法情報を収集する過程は、ともすると、書物やコンピュータと向かい合って知識を探してインプットする孤独な作業と思われがちである。そうであれば、相手方がいないのだから「表現」の必要はなくなるだろう。しかし、生の具体的な事案を目の前にした法律家が行う法情報の収集は、そのような閉鎖的かつ単線的なものではない。たとえば、この場合に法律家が必要とする最も基本的な情報は何であろうか。それは、当該事案の具体的な事実である。一般の実定法科目においては、法規範を適用すべき事実は、すでに教科書や演習書、あるいは、判例集の事実の部分に書いてあるだろう。しかし、生の具体的な事案を検討対象とするときに、法律家は、まず事実が何であるのかを、当事者からの聞き取りや、現地での調査によって明らかにしなければならない。また、訴訟という場に進んだときには、証拠によって裁判所を説得することにより、自分の依頼者が主張する有利な事実を「作り出す」ことも必要とされる。したがってそれは、自己表現を基礎とする人的なコミュニケーションに依存することになる。また、法令や判例といった法情報の収集、それ自体を切り離してみれば単独の作業であるが、言うまでもなく、どのような法令、どのような法令を収集すべきかは、具体的事実との関係で定まるのだから(判例の「射程」をめぐる議論を想起されたい)、結局のところそれにも、上述の、事実をめぐる、人的なコミュニケーションが必ず寄り添わなければならない。

法情報の分析についても同様である。収集した法情報を分析して自らのなすべき法的主張を確定していく作業も、具体的な訴訟という場をイメージしたときには、自らの単独による静的な営みではありえず、相手方が行う主張との相互作用によってその内容を決していくことになる。たとえば、被告の立場であれば、原告が明らかにした主張を前提に、受動的な範囲で自らのなすべき法律構成を定めることになるだろう。法例や判例の解釈をめぐって両当事者に見解の相違が生じるのであれば、相手の主張の内在的・外在的な誤りを指摘し、これを反駁する法的主張が構成しうるかという視点から、法情報の分析を行うことになる。そこで構成される法律論は、訴訟という具体的な場面における自己表現そのものに他ならないのである。そして、よりミクロ的に、法廷という場での具体的な弁論活動に着目するならば、そこでは、提示する法律論の内容の当否だけでなく、どのような言葉を選び、どのような順番で、どのような文体で、裁判官の五官のうちどの感覚に訴えるのかが、重要な意味をもつことになる。こうして、法情報の発信も当然に、自己表現の場となるのである。

このように、法律家が日常的に行っている事件解決のプロセスは、法律家による自己表現活動の集積であると評価することができる。伝統的な法学教育の現場においては、各法分野の膨大な知識を吸収することに重点が置かれており、せいぜいケースメソッドで具体的な事案での解決方法を(所与の事実関係を前提に)検討するにとどまらざるをえない。しかし、それだけでは、法学教育の成果と、法律家の活動との間に乖離が生じてしまうことになり、学生にっては「生きた法律知識」「使える法律知識」を身につけたことにはならない。そこで、鹿児島大学法文学部においては、実定法科目で得た知識を、実際の法律家の活動(すなわち、自己表現を基礎とするコミュニケーションの集積)において応用するための方法を、2年次から3年次にかけての「法情報論」で鍛えているのである。

自己表現力の教育というと、各学生の先行領域とは切り離された無色透明の基礎的な能力であるかのように思われがちである。しかし、そうではないだろう。どのような自己表現の方法を身につけるかは、それぞれの学生が、(学部レベルとはいえ)卒業後に専門性を発揮するそれぞれの分野と不可分なはずである。大学におけるキャリア形成という観点からは、特にこの点は強調されなければならない。「法情報論」は、法律専門知識をコミュニケーションの中で活かす方法を学ばせると同時に、法律専門知識を扱う者に相応しいコミュニケーション能力を学ぶための場として、位置づけることができよう。

3.IT時代の自己表現力

さて、本学の「法情報論」のもうひとつの特徴は、「法情報」の扱いにおいて、「情報技術」の活発な活用を求めることにある。かつては、紙の書類と重たい書物と風呂敷が目についた法廷の風景も、今日では随分と様変わりしている。法律文書の作成にPCが用いられるのはもちろん、法情報の収集は、もはや完全に電子媒体が主流となりつつあると言ってよいだろう。また、裁判員制度の導入などが契機となり、法廷にPCとプロジェクタを持ち込み(あるいは備え付けられ)、弁論をプレゼンテーションソフトを用いてわかりやすく行う例も多数見受けられるようになった。さらには、遠隔地の法律家との協働においては、当然のようにインターネットが活用される。「法情報論」において、法律実務家の活動をシミュレーションするにあたっては、こうしたIT技術をフル活用できる将来の法律家像をモデルとしているのである。  このため、「法情報論」で学生たちが身につける自己表現の技法は、かなりの部分がITを活用した形での自己表現となる。この科目において学生が作成したデータの中には、たとえば、1)論点表、2)自己の主張のロジックを説明するフローチャート、3)事故現場の様子など事実関係に関する情報を正確に共有するための図面作成など、多くのビジュアル資料が含まれる。また、検索・編集が容易なデジタルデータの特性を活かして、4)相手方が提示した文書データを有効に再利用して、争点が明確な反論用の文書を作成させた。そして、それらの文書はいずれも、5)インターネットを通じて交換・配付しており、表現の「場所」もまた、ITの内側に存在することとなった。

ところで、ITを活用した表現ないしコミュニケーションは、一面においては非常に便利であり、言いたいことを簡単かつ瞬時に伝えることが可能である。しかし他方で、効果的な表現・コミュニケーションのためには、ITの特性を十分に理解しておかないと、思わぬ誤解が発生したり、無駄手間が生じたりする危険も少なくない。そこで、「法情報論」では、ITを活用した表現を日常的に行うことにより、この種の表現・コミュニケーションに潜む問題点を体験的に学び、利点を活かす使い方を身につけることを目指した。この点で大きな意義を有しているのが、名古屋大学、大阪大学、熊本大学との連携である。各大学とはシラバスの基本的な進行と扱う事案を共通化しており、事案の検討を行う学生のグループを、大学横断的に構成することにしている。つまり学生たちは、遠隔地にいる顔も見たことがない相手との意思疎通のために、ITを活用せざるをえない環境に置かれているのである。授業時間内に、学生が、法律家としてコミュニケーションをとるべき相手は、実は教室におらず、ネットワークの向こう側の他大学に存在する。冒頭の「漫画喫茶」のような授業風景の理由がおわかりいただけるだろう。

前述のとおり、学生には、訴訟を通じた具体的事案の解決を実践させる。しかし、他大学の学生と実際に法廷で対面して弁論するわけにはいかない。そこで、まず最初に、名古屋大学の角田篤泰教授が開発されたシラバスシステムの論争用掲示板を使って、すべての学生にオンライン上でディベートを展開させた。ここでのやりとりで意思疎通し、お互いの主張を明らかにすることは、多くの学生にとっては、予想以上に思い通りにならない、難易度の高いものだったようである。相手の発言の真意がわからない、こちらの発言の真意が伝わらない、そもそも相手方と連絡がとれないなど、様々な混乱が生じた。

また、最終回には、遠隔講義システムで各大学を結んで、実際に口頭でのディベートを実施した。ここでは、リアルタイムに口頭で、相手の顔を見ながら自分の意見を伝えることができる。その意味では、対面の場合と何ら変わりないはずだった。しかし、このときにも学生たちは、「画面の向こう側にいる相手」に向けて語りかけることの難しさを痛感したようだった。ディベートの円滑な実践という点からはマイナスだが、ITを介した自己表現の訓練としては、むしろ貴重な経験を積ませたと言ってよかろう。いずれ、訴訟実務を含めた法律家のコミュニケーションの一部分は、まさにこうした環境の下へと移行することになるからである。

4.今後の課題

以上のとおり、「法情報論」は、@法律学の専門知識を活用する応用的な自己表現を学ぶ機会であり、同時に、AITを活用した新しい時代の専門職が必要とする自己表現の技法を学ぶ機会でもある。単に基礎的素養としての自己表現を磨くだけではなく、鹿児島大学法文学部の学生のキャリア形成を全体として見据えながら、そのキャリアを社会の中で活かしていくうえで具体的に必要な自己表現力を身につけるための機会が提供できていると思う。もっとも、すでに鹿児島大学において10余年の伝統を持つ科目であるとはいえ、現在の環境の下で、さらに改善すべき点、克服すべき課題も存在している。最後に、いずれも私見であるが、この点を整理して、この報告を終えることにしよう。

課題のひとつめは、ハードウェア環境の問題である。この科目の運営を支えるのは、他大学との密接な連携によって、学生相互の幅広い交わりを可能としている点にある。これまで、大学間の連携においては、人工衛星を使った遠隔講義システムであるSCS(Space Collaboration System)が活用されてきた。このシステムは、現状においても十分に機能を発揮することができるのであるが、システム自体の経年により、保守作業が困難な状態が生じている。平成19年度の講義においても、最終回のディペートでは、機材の不具合によって利用ができなくなり、急遽、法科大学院が所有するインターネットによるテレビ会議システムを利用して連携を行った。これは、今回連携に参加した大学がいずれも同様の環境を有していたために実現したものであるが、今後も安定的に利用可能かどうかは、なお検討が必要である。インフラの整備と講義の発展をどのようにマッチさせるかは、鶏と卵の関係にも似た面があり、なかなか困難な課題である。

二つめの課題は、教育内容に関して、上述のような工夫を盛り込むあまり、逆に、シンプルな口頭での表現活動の訓練に十分な時間をとれていない点にある。講義の最終回のディベートでは、これまでオンラインでのやりとりや、書面でのプレゼンテーションが優れていた班であるにもかかわらず、口頭でのパフォーマンスが、十分とは言えない学生が多く見受けられた。次年度以降は、(ある意味では「基本に返って」)この点について十分なトレーニングの時間をとりたいと考えている。もっとも、講義時間の限界なども考えれば、この問題はむしろ、他の自己表現科目との連携ないし役割分担をいかに行うかという、自己表現科目群の戦略配置に帰着することになるかもしれない。

いずれにしても、幸いにしてモチベーシヨンの高い学生が受講している状況に応えられるように、次年度以降も、教育の工夫・改善を行っていきたい。




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