MCT118型DNA鑑定の証拠能力

(最決平成12年7月17日刑集54巻6号550頁)

判例時報1776号(判例評論519号)214-217頁(2002年)



跡見学園女子大学専任講師 中島宏

[わいせつ誘拐、殺人、死体遺棄被告事件、最高裁平成八(あ)八三一号、平1 2・7・17二小法廷決定、上告棄却、判例時報一七二六号一七七頁、刑集五四巻六号五五〇頁]

【事実】

本件は、平成二年五月一二日に、被告人が、栃木県足利市のパチンコ店の駐車場にて一人で遊んでいた被害者(当時四歳)を、わいせつ行為をする目的で近くの渡良瀬川河川敷へ連行して誘拐し、頚部を両手で絞めて殺害したのち、(死体にいたずらをするなどして)河川敷内の草むらに遺棄したとされた事案である。警察は、一八○名の捜査員を投入したいわゆる「ローラー作戦」により、見当をつけた犯人像一1)幼児に性的な興味がある、2)現場に土地勘がある、3)血液型が現場付近の川底から発見された被害者の下着に付着した精液斑と同じB型の男性)に合致する人物を捜索した。平成二年一一月になって、被告人の情報がもたらされ、任意提出を受けた唾液から血液型がB型であることが判明するなどしたため、同年一二月初めから約一年にわたって、捜査員が被告人の行動確認を続けた。平成三年六月二日に被告人が集積所に捨てたごみ袋の中から、精液の付着したティッシュペーパiを採集した。

県警の依頼を受けた科警研は、同年一一月になって、右のティッシュペーパーに付着した精液と、被害者の下着に付着した精液斑につき、両者の血液型が同型であり、また、DNA型についても、123マーカーを用いたMCT118法で同型であると判定した。これを受けて、同年一二月一日、被告人に任意同行を求めて取調べを行った。被告人は、当初は弁解したものの、同日中に自白し、直ちに通常逮捕された。被告人は、捜査段階およぴ第一審の当初において、公訴事実を認めていた。しかし、被告人質問の途中から否認に転じ、のちに再ぴ犯行を認めて結審したものの、弁護人に自分は犯罪に関わっていない旨を伝えて弁論を再開し、再び公判廷で犯行を否認した。

第一審は、DNA型鑑定について「鑑定方法の歴史は浅く、その信頼性が社会一般により完全に承認されているとまでは未だ評価できない」としつつも、「専門的な知識と技術を持った者によって、適切な方法によって行われたのであれば、遣定結果が裁判所に対して不当な偏見を与えるおそれはない」と判示して、本件におけるDNA型鑑定の証拠能力を肯定した。また、本件におけるDNA型鑑定と血液型鑑定の組み合わせについて示された出現頻度を引用しつつ、本件でのDNA型の一致を、被告人と犯行の結びつきを強く推認する問接事実として評価して、被告人に無期懲役を言い渡した。

原判決は、まず、科学的証拠の証拠能力について「その認知・分析の基礎原理に科学的根拠があり、かつ、その手段、方法が妥当で、定型的に信頼性のあるものでなければならない」との一般論を示した。そのうえで、「DNA型鑑定の手法として、MCT118法は、科学理論的、経験的な根拠を持っており」「その手段、方法は、確立された、一定の信頼性のある、妥当なものとみとめられるのであり、したがって、DNA資料の型鑑定につきMCT118法に依拠し、専門的知識と経験のある、練達の技官によって行われた本件DNA型鑑定の結果を本件の証拠に用いることは、許されるというべきである」と判示した。また、弁護人による1)123マーカーの不適格性、2)本件鑑定資料の量的・質的な欠陥、3)鑑定自体の作為性、4)出現頻度に対する過大評価などの主張をすぺて退け、本件DNA型鑑定の証拠評価についても原判決を支持した。また、本件の自白が任意性と信用性を欠くとする主張も退けて、控訴を棄却した。

【判旨】

最高裁は、弁護人の上告趣意と被告人本人の上告趣意は、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらないとしつつ、本件DNA型鑑定の証拠能力について、職権で以下のとおり判示した。「本件で証拠の一つとして採用されたいわゆるMCT118DNA型鑑定は、その科学的原理が理論的正確性を有し、具体的な実施の方法も、その技術を習得した者により、科学的に信頼される方法で行われたと認められる。したがって、右鑑定の証拠価値については、その後の科学技術の発展により新たに解明された事項等を加味して慎重に検討されるべきであるが、なお、これを証拠として用いることが許されるとした原判断は相当である。」

【評釈】

一 DNA型鑑定について

本件は、いわゆる足利事件に対する最高裁決定である。一審および控訴審の有罪認定において、被告人と犯人との結びつきについては、捜査段階から第一審公判にかけてなされた被告人の自白を基礎としており、その任意性・信用性に対する判断内容こそが、具体的な事案の結論との関係では重要ともいえる。しかし同時に、本件では、被告人と犯人の結びつきを推認させる間接事実として、いわゆるDNA型鑑定の結果の一致が問題となっており、鑑定の結果を証拠とすることの可否が争われた事案でもある。先例としての意義に鑑みて、ここでは、DNA型鑑定の証拠能力・証明力をめぐる論点に限定して評釈を行うこととする。

DNA型鑑定とは、細胞核の中の染色体にあるDNA(デオキシリボ核酸)を構成している四種類の塩基配列の特徴によって個人を分類ないし識別するものである。鑑定の方法には様々なものがあるが、本件で用いられたMCT118型検査は、DNAの多型性のある一つの部位一シングルローカス)を大量に増幅させ(PCR法)、塩基配列部分の繰り返し数を分析する手法であり、微量の血液や精液斑から抽出された試料によっても検査が可能であることから、犯罪鑑識においても利用が可能である(1)。そのため、同じくシングルローカスをPCR法で.増幅させるHLADQα型検査と共に、その技術は、科学讐察研究所によって開発・実用化されてきた。科讐研への嘱託が増加したことに対応して、讐察庁は、一九九二年度以降、各都道府県警に鑑定のための機材等の導入を開始すると同時に、一九九二年四月一七日付けの長官通達で「DNA型鑑定の運用に関する指針」を制定し、都道府県警察の科学捜査研究所において信頼性が高いとされる方法一その問題点について後述一による統一的な運用を制度上可能とした(2)。その後、より陳旧化が激しい資料からも鑑定が可能とされる短鎖DNA鑑定とPM検査も実用化され、可能な場合にはこれら二つの方法をも併せて実施すべく、右の「指針」が改訂されている(3)。

二 下級審判例の流れ

捜査におけるDNA型鑑定の活用の広がりに応じて、下級審判例の中には、MCT118DNA型鑑定を証拠としたものが多数見受けられるようになっている(4)。たとえば、初期のものとしては、1)水戸地下妻支判平成四.二・二七判時一四二二号三五頁がある。強姦致傷事件において、犯行現場等に遺留された血液や精液と被告人の血液についてなされたMCT118型を含む四種類のDNA型鑑定および血液型鑑定の結果を「一六○○万人に一人」「七〇〇〇万人に一人」との出現頻度であることを認めた。もっとも、この事案では、否認事件ではあるものの、弁護人は鑑定書を証拠とすることに同意しているため、証拠能力が直接に議論の対象となったわけではない(5)。

証拠能力を弁護人が争った事例では、本件の第一審である2)宇都宮地判平成五・七・七判タ八二〇号一七七頁が、DNA鑑定の信頼性は社会一般から完全に承認されたものではないとしつつも、MCT118型鑑定の原理について詳述したうえで、専門的な知識・技術・経験のある鑑定人が適切な方法で行えば、証拠能力を認めてよいとの判断を示した。証拠能力を肯定する根拠として「鑑定結果が裁判所に対して不当な偏見を与えるおそれはないといってよ」いことを掲げているので、鑑定の原理じたいに最低限の証明力を認めうるか否かの問題(n自然的関連性)だけではなく、(最低限の証明力を前提にしつつも)信用性評価に誤りをもたらす危険があるため利用を避けるべきか否か(=法律的関連性)にも視点を置いた判示だったといえよう。そのうえで、本件で実際に行われた鑑定の過程について、鑑定者の適格性と鑑定方法の適切さという観点から整理したうえで、鑑定書の証拠能力(ならびに証明力)を肯定している(6)。

続いて、本件の控訴審(原判決)である3)東京高判平成八・五・九判時一五八五号二二六頁は、科学的証拠に証拠能力を認める要件について一般論を展開し、(a)基礎原理に科学的根拠があること、(b)手段・方法に「定型的な」信頼性があることの二つを掲げた。判決じたいが概念の使い分けを意図したかどうかは不明であるが、前者は自然的関連性、後者は法律的関連性にかかる要件として整理することができよう(7)。そして判決は、本件で実施された鑑定に対し弁護人が指摘する問題が右の要件の存否に及ぽす影響を論じて、鑑定書の証拠能力(ならびに証明力)を肯定した(8)。

また、4)ゴビンダ事件の控訴審判決(東京高判平成12・22判時1727号3頁)では、被告人の犯行への関与を推認する証拠として、MCT118型を含む四種類のDNA型鑑定の結果が示されている(証拠能力の判断方法などについて、特段の判示はしていない)。

なお、MCT118型以外のDNA型鑑定については、5)名古屋バラバラ殺人事件に対する名古屋地判平成六・三・一六判時一五〇九号一六三頁が、切断されて別々の場所に近棄された遺体の各部分および被害者とされる人物と被告人とが同居した建物で発見された肉片とを対比したHLA-DQA1型鑑定(PCR法を用いる)について、「一般的、抽象的レベルでの科学的妥当性は学問的に確立されている」としたうえで、弁護人が指摘する具体的な鑑定手法への疑問点に答えつつ、琶定人の専門性や実施方法の慎重さなどを確認して、その証拠能力を認めた(9)。また、その控訴審である6)名古屋高判平成八・三・一八判時一五七七号二一八頁も、ほぼ同様の判示をして原判決を維持している。

DNA型鑑定の証拠能カをめぐる下級審判例は、おおむね次のような動向にあるといえるだろう。まず、1)DNA型鑑定により個人を分類・識別する原理には科学的な根拠があるとされる。しかし、そのことのみをもって証拠能力を直ちに肯定するのではなく、2)実際に実施された鑑定について個別に検討を加えている。3)検討するポイントは弁護人からの指摘に対応して事案ごとに様々であるが、4)鑑定人の適格性、通常適切とされている手順に準拠して実施されたかどうかなどが検討される。なお、証明力との関係では、5)DNA型鑑定の結果は、他の証拠の証明力と相まって有罪認定の根拠とされるに止まっており、かつて世に喧伝されたような、被告人を犯人と結びつける「決め手」の地位にあるわけではないことに注目すべきである。

三 本決定の位置づけと評価

以上のような鑑識実務および下級審判例の動向があるところ、本件の最高裁決定は、DNA型鑑定の証拠能力について、初めての判断を職権で下したものである。本決定は、原判決のような一般論は示していないが、MCT118DNA型鑑定に証拠能力を認める基準が、1)科学的原理が理論的正確性を有していること、2)技術を習得した者が科学的に信頼される方法で行ったことの二点であることを示している。概念的には、1)は自然的関連性、2)は法律的関連性を問うものと整理するのが適当である(10)。

DNA型鑑定の原理じたいが(これまで「科学的」証拠と呼ばれて関連性が議論されてきたもの以上に)科学的な正確性を有していることは疑いない。したがって、要件1)は常に満たされることになり現実には、個々の鐘定について、実際の過程を分析し、それが2)の条件を満たすかどうかが、証拠能力を認めるか否かの分かれ目となる。したがって、本決定が示す枠組みは、これまでの下級審判例が種々に積み重ねてきた判断のあり方と基本的には同一である。本決定は、下級審の流れを肯定して束ねるものと位置づけられよう。なお、本決定の射程は、科警研が現在用いている他の方式によるDNA鑑定にも及ぶと解すべきであろう。^

ところで、学説には、アメリカのフライ事件で用いられた基準を参考に、DNA型鑑定のようないわゆる科学的証拠の証拠能力が肯定されるためには、他の証拠と同じような関連性の審査では足りず、鑑定の原理や手法の妥当性が、所属する専門分野で一般的に承認されたものでなければならないとする立場もある。これによれば、検察官は、理論や技術の有効性を立証するだけでなく、一般的承認を得られているかどうかについても、有力な専門家を喚問するなどして立証する必要があるとされる(12)。しかしながら、本決定は、この立場によらないことを明らかにしたものである(13)。もっとも、関連性により判断することと一般的承認を求めることとは、択一関係にあるのではなく、相互補完的であるとの理解もある。鑑定の原理や手法につき専門分野の一般的承認が得られないような場合は、関連性基準によって判断するとしても、法律的関連性が否定されるはずだと考えるのである(14)。ただ、判例についてそのようなことをいうためには、具体的に実施された鑑定が要件2)を充たすか否かの判断において、「専門分野で一般的承認がえられなけれぱ、科学的に信頼されているとはいえない」との厳格な態度がとられなければならない。

さて、本決定では、要件3)については、結論が述べられているだけで、具体的な検討は示されていない。一般論としては、過去の下級審判例でも一部なされてきたように、(a)検査者の知識・経験の適格性、(b)鑑定資料の収集や保存の確実性、(c)鑑定機器の動作性能、(d)増幅したDNAを電気泳動にかけて得られるバンドパターンのズレを許容できる範囲の設定、(e)バンドパターンからDNAの型を判定するマーカーの正確性、(f)別人のDNAから得たバンドパターンが偶然に一致する頻度の認識などが審査されることになろうか(15)。なお、その際には、すでに適切とされている通常の手順に従っていたか否かが、わかりやすい指標のひとつとなる。しかしながら、警察庁による「運営の指針」を遵守していることをもって直ちに証拠能力を認めるべきではない(16)。技術進歩の結果として、「運用の指針」じたいに問題が見つかる可能性は当然にある。そもそも捜査機関の内部的な指針でしかない以上、裁判においては、外部からの批判に積極的に晒される必要があるだろう。たとえば、上告趣意も指摘するとおり、「運用の指針」では、現場資料と被疑者由来の資料を同時に用いた比較鑑定を原則としているが、そのような方法は検査者に予断を生じさせる危険がある(17)。

また、本件では、現場資料のすべてを最初の鑑定で消費しており、再鑑定が不可能な状況にあるが、本決定は、再鑑定が可能な残存資料の有無と証拠能力とを関連づけた判示は行っていない。だが、追試や批判的検討の積み重ねを経て客観性を確保する営みこそ、「科学的」であることの必須条件というべきであろう。資料が微少であるがゆえに一度きりしか鑑定が行えない場合は、せめて事後的な批判的検討のために、その過程にかかる情報をすべて正確に記録し、被告人や弁護人がその情報にアクセス可能となるような制度的保障がなければ、「科学的に信頼される方法」による鑑定というべきでは師げなお、上告趣意は、1)警察庁による「運用の指針」が超低温層での冷凍保存を求めている資料について、常温のまま長期にわたり放置されていることを指摘する。また、2)本件鑑定当時からのち研究が進んで、現在では、本件鑑定で用いられた123マーカーの正確性は否定されており、正しい結果を示すアレリックマーカーとの相互対応も不完全である(両者が一対一の関係になっておらず、123マーカーで判定した型番号が、アレリックマーカーでは何番になるのか特定できないことがある)とも指摘した。いずれも、鑑定の手決に対する科学的信頼性を疑わせる事情であるかのようにも思われるが、本決定は、何ら応答を示していない。「科学技術の発展により新たに解明された事項」をも加味して証拠価値を検討すべきとの判示が付されているのは、上記の事情を(証拠能力には影響しないものの一DNA型鑑定の証明力を減殺させる事情として扱うとの趣旨であろうか。ただ、そうだとすると、被告人と犯人との結びつきを示す証拠が、自白の他には、DNA型鑑定しか実質上存在しなかった原判決の証拠構造に鑑みて、なお有罪を維持する根拠が明らかな判示がなされてもよかったように思われる(19)。


(1) DNA型鑑定の一般的な原理および科警研によるMCT118DNA型鑑定の手法につき、下郷一夫ほか「DNA鑑定・その意義と限界」ジュリスト一〇一〇号八三頁(一九九二年)、池本卯典「DNA鑑定.その基礎」法律時報六五巻二号二六頁(一九九三年)、瀬田季茂「犯罪鑑識科学におけるDNA型分析の実際と法科学的評価(上)(中)(下)」捜査研究四八六号二一頁、四八七号三六頁、四八八号四五頁(一九九二年)、同「証拠物件のDNA型鑑定にみる科学的背景(上)」警察学論集四九巻八号二二頁(一九九六年)、日本弁護士連合会人権擁護委員会編『DNA鑑定と刑事弁護』三九頁(現代人文社、一九九八年)、鑑定研究会「DNA型鑑定」捜査研究五九三号二八頁(二〇〇一年)など。
(2) 指針の内容について、杉田義弘「DNA型鑑定の運用に関する指針の解説について」捜査研究四八九号三九頁(一九九二年)、岡弘文「警察におけるDNA型鑑定の現状と今後の展開(上)」讐察学論集四九巻七号五八頁(一九九六年)。
(3) 栗野友介「DNA型鑑定の連用に関する指針の一部改正について」警察学論集四九巻一二号二一頁(一九九六年)、瀬田季茂「証拠物件のDNA型鐘定
にみる科学的背景(中)」警察学論集四九巻九号一三九頁(一九九六年)、岡弘文「讐察におけるDNA型鑑定の現状と今後の展開(下)」讐察学論集四九巻八号四五頁(一九九六年)。
(4) 下級審判例を対象とする総合的な研究として、佐藤博史「DNA鑑定と刑事弁護」法律時報六五巻二号五四頁(一九九三年)、三井誠「DNA鑑定の証拠能力・証明力」『松尾浩也先生古希祝賀論文集・下巻』四八五頁一有斐閣、一九九八年)。
(5) 多田辰也「判批」『平成四年度重要判例解説』一九九頁(有斐閣、一九九三年一、小早川義則「判批」法学セミナー四五八号一三二頁(一九九三年)。
(6) 長沼範良「判批」ジュリスト一〇三六号一〇八頁(一九九三年)、笹野明義「判批」大阪刑事実務研究会『刑事証拠法の諸問題(上)』二三二頁一判例タイムズ杜、二〇〇一年)。
(7) 田口守一「判批」『平成八年度重要判例解説』一七六頁一有斐閣、一九九七年)。自然的関連性の問題として理解する立場として、三丼誠「科学的証拠」法学教室二一一号一三〇頁(一九九八年)。(8)評釈として、津村政孝「判批」松尾浩也・井上正仁編『刑事訴訟法判例百選[第七版]』一五二頁(一九九八年)。
(9) 安冨潔「判批」判例評論四二二号(判例時報一五四三号)二五四頁(一九九五年)。
(10) 加藤克佳「科学的証拠の証拠能力」法学教室二五六号四四頁(二〇〇二年)。
(11) Frye v. U.S., 293 F. 1013 (D.C. Cir. 1923).
(12) 白取祐司「DNA鑑定」法学セミナー五〇二号八四頁(一九九六年)、浅田和茂「科学的証拠とその評価」光藤景皎編『事実誤認と救済』四四頁(成文堂、一九九七年)など。ただし、無罪方向での利用については緩やかに解する片面的構成をとる余地を認める。フライ基準および一般的承認については、田淵浩二「DNA鑑定の証拠能力」法律時報六五巻二号四二頁、長沼範良「科学的証拠の許容性」『内藤謙先生古稀祝賀論文集』四六二頁(有斐閣、一九九四年)。
(13) 職業裁判官制の下では、一般的承認まで要求する必要はないとする見解として、安冨潔「刑事手続におけるDNA型鑑定と証拠」法曹時報四八巻二号二七一頁(一九九六年)。
(14) 村井敏邦『刑事訴訟法』二五四頁(日本評論社、一九九六年)。
(15) 田宮裕・多田辰也『セミナー刑事手続法・証拠編』一三五頁(啓正社、一九九七年)。
(16) 多田・前掲註(5)二〇一頁。なお、安富・前掲註(13)二七一頁は、「運用の指針」に従っている場合は、「原則として」証拠能力を認めてよいとする。
(17) 佐藤博史「DNA鑑定のための血液採取、DNA鑑定の証拠能力」平野龍一・松尾浩也編『新実例刑事訴訟法III』一八一頁(青林書院、一九九八年)。
(18) 鑑定に関する情報公開を条件とする見解として、田口・前掲註(7)一七六頁。
(19) 本決定の評釈として、すでに挙げたものの他、水谷規男「判批」法学セミナー五五二号一一九頁(二〇〇〇年)、田中圭二「判批」現代刑事法二四号一〇一頁(二〇〇一年)、三井誠「判批」『平成一二年度重要判例解説』一八二頁(有斐閣、二〇〇一年)、清水真「判批」法学新報一〇八巻一号二〇一頁(二〇〇一年)。




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